『ヒヤマケンタロウの妊娠』箱田優子×菊地健雄監督対談 「自分の中の“当たり前”を崩して」

 斎藤工が妊娠する姿、彼を後ろからお腹と一緒に抱きしめる上野樹里のポスタービジュアルが大きなインパクトを呼んだNetflixシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』が独占配信中だ。“すべての男性に妊娠する可能性がある”という現実には起きていない、男女逆転の模様が描かれるが、決して本作は“ファンタジー”ではなく、私たちの生活とも地続きのリアリティがたっぷりと詰まっている。センシティブな題材でありながら、コミカルさもあり、何よりも今観るべき作品に、作り手たちはどう仕上げていったのか。本作の監督を務めた箱田優子、菊地健雄、2人の監督に話を聞いた。

『ヒヤマケンタロウの妊娠』ならではのユーモアをどこに置くか

ーー本作を観ていると、自分の中にあった“当たり前”や“普通”といったものを、改めて問い直さずにはいられませんでした。監督としても取り組むのが難しい作品だったと思います。

箱田優子(以下、箱田):扱うテーマが妊娠・出産というデリケートなものなので、制作工程は絶対にしんどいものになる、という意識はありました。ただ、あえてこのしんどい道に作り手たちもズブズブに入っていった方が観ている人も面白いかなと考えていました。これまで手掛けてきた作品とは違い、一つの目標にストレートにいく、というよりも、みんなでとにかく議論を重ねながら、すり合わせながら進めていきました。いい意味で、「自分の考えを崩してもう一回考え直してみよう」ということが何度も行われる現場でした。それが辛くもあり、楽しくもありましたね。

菊地健雄(以下、菊地):シナリオを作る過程でもそうですが、撮影現場でも、主演の斎藤工さん、共演の上野樹里さん、俳優さんの身体性の中で、性別に対する感覚もそれぞれ別にあり、当然自分と箱田さんの違い、差みたいなものも突きつけられる瞬間がいつもの現場以上にありました。箱田監督もおっしゃってましたけど、一直線に進んでいくというよりは最後の編集、音楽の仕上げに至るまで、自分がこれまで当たり前だと思っていたものを、もう一回崩さなければいけない瞬間が非常に多かった気がします。

ーー坂井恵理さんの原作コミックを非常に巧みに脚色されていると感じました。

菊地:脚本は山田能龍さん、岨手由貴子さん、天野千尋さんの3人体制なのですが、それぞれの持ち味が非常にいい形で活かされていたと感じます。原作はエピソードごとに訴えるテーマが数珠繋ぎとなる構成なんですが、我々は全話を通して一つの筋を通さないといけない。1話ごとのテーマと作品全体のテーマを構成していく作業が一番大変でした。既に原作の中に多様な問題を埋め込んでいただいてるので、脚色・演出するにあたり、さまざまな切り口を考えることができたのは有り難かったです。特に上野さんが演じた亜季は原作ではそんなには出てこないのですが、ドラマとしての核をつくる上で、非常に重要なキャラクターとして成立させることができたのではないかと感じています。

箱田:原作コミックも素晴らしい内容ですし、漫画ならではの入り口の柔らかさもあります。一方、ドラマとしてはその魅力とは違った形で、「社会派でありコメディでもある」というのを大事にしたいなと。「桧山のような男性が妊娠したらどうなるの?」というところに留まらず、妊娠をしたことで社会の中でその人物の立場はどう変わっていくのか、妊婦に今の社会はどう接しているのか、妊娠によって変化するさまざまな考え方をドラマで表現することができればと考えていました。“多様性”が問われる現在、本作がどうあるべきか、というのはスタッフ・キャスト全員で考え抜きながら作りました。

菊地:打ち合わせの中では、それぞれの経験談を語らざるを得ない瞬間がたくさんありました。こんなにも自分自身のことを話した作品はなかったかなと。でも、それぞれの体験や考えを表明したときに、物語化するヒントが多く詰まっていました。自分たち自身の経験と現在の世の中に求められているもの、そしてドラマとして成立させるために必要なフィクションの部分、そのすり合わせをとても繊細に重ねていく作業でした。

ーー男性とは? 女性とは? を考え直す作品であると同時に、家族についての物語でもあると強く感じました。

菊地:僕たちも作りながらそれぞれの“家族観”は常に問われている感じでした。一緒に暮らしていても結婚という選択をしない人もいれば、一人で生きていくという選択を取る方もいます。男性とか、女性とかではなく、「一人の人間としてどう生きるか」ということを必然的に考えさせられる作品でした。

箱田:“家族観”が問われる感じは辛かったです、本当に(笑)。「自分は妊娠を望んでない、別に子供を嫌いとかそういうわけじゃないんだけど」という亜季のセリフがあり、あまり公では言い辛い内容だと思うのですが、同じようなことを思った方はいると思うんです。私自身、子供はいないのですが、少し前までは、「え、なんで? 子供欲しくないんですか?」って普通に言われるような世の中で。「私はなぜ(子供が)欲しいと思わないのか」の理由を、わざわざ人に言いたくもないけど、ずっと引っ掛かっているようなことをオープンに話さなきゃいけないことが辛かったです。そんな思いをもっていた中で、亜季というキャラクターを掘り下げていくことは、自分自身を見つめ直すこととも同じで。だから、亜季のセリフや考えを、話し合いの中で否定されると「私もありえないってこと?」と思わず思ってしまうようなときもありました。

ーー斎藤さんが演じる桧山が妊娠をしたことによってさまざまな“ギャップ”が描かれていきます。母乳がワイシャツに染みて慌てる姿など笑ってしまうシーンも多々あるのですが、あるときから「本当に笑っていいいのか?」という思いも生まれて。女性にとっては、妊娠におけるさまざまな変化は自然なことであり、それをいかに知らなかったのかということを思い知られされた部分もありました。

箱田:「社会派コメディ」というテーマを掲げているのですが、「どういう笑いなのか」ということはずっと話し合いました。シンプルに言うと、「笑い者にする」のは絶対にやめようと。シニカルな笑いと言いますか、普段とは違うズレが起きている事態を、傍から見たらおかしく見えたり、そこに違和感を感じたり、疑問をもったりするのが、“面白い”になるんじゃないかと。この作品ならではのユーモアをどこに置くかは最後まで考えました。

菊地:演じる俳優たちも“笑わせ”にはいってないんです。こういう表現で正しいかわからないですけど、キャラクターを真剣に演じることで、結果的に笑いになる。良質なコメディとはそういうことだと僕も思っているので、脚本の打ち合わせでもどこまでがセーフでどこからがアウトか、それぞれの立場でかなり白熱する瞬間がありました。「これは本当にコメディの脚本打ちなのか?」と感じるときも多かったです(笑)。結果、このプロセスが作品にしっかり投影されて、もちろん可笑しみもありつつ、決して一段上からのメッセージを突きつけることでなく、「これ本当に笑ってもいいのかな?」とか、「自分は妊娠をどう思っていたのかな?」など、作品を観てくださった方が、何かを考えるきっかけになってくれていれば本当に嬉しいですね。

関連記事