このロシア映画を観よ 『インフル病みのペトロフ家』から戦争予言作『ドンバス』まで

 『インフル病みのペトロフ家』の興奮も冷めぬうちに、5月6日から新宿ピカデリーほか全国劇場で『チェルノブイリ1986』が公開されている。ハリウッド進出も果たしているスター俳優ダニーラ・コズロフスキーが主演ばかりでなく監督も手がけた意欲作で、チョルノービリ原発事故(日本政府は3月31日にチェルノブイリのカタカナ表記をウクライナ語由来のチョルノービリに変更)の実話を1組の男女のロマンスとからめつつ、良質なディザスタームーヴィーに仕上げている。『インフル病みのペトロフ家』同様、この『チェルノブイリ1986』もソビエト時代を甘ずっぱいノスタルジーと共に懐古する点は共通しており、ロシア人たちは離反したウクライナがもう永遠に自分たちの家に帰ってこないことを理解できないのだろう。

『チェルノブイリ1986』(c)≪Non-stop Production≫ LLC, (c)≪Central Partnership≫ LLC, (c)≪GPM KIT≫ LLC, 2020. All Rights Reserved.

 『チェルノブイリ1986』はウクライナの原発村を舞台にしつつも完全にロシア映画であり、ウクライナ映画ではない。ソビエト市民としての良識と正義が高らかに語られており、現行の状況においては、非常に微妙なスタンスを有した作品だ。それでも、あの『Fukushima 50』(2020年/若松節朗監督)の救いようのない偏向、きれいごと、危険なオプティミズムに比べれば何倍か誠実な作品であって、ましてやこのたびの侵攻の渦中でチョルノービリ原発がロシア軍に占領された期間、IAEA(国際原子力機関)によれば「非常に危険な状態に陥っていた」という緊迫した現状において、『チェルノブイリ1986』もまた、見逃すべき作品ではない。

 『親愛なる同志たちへ』『インフル病みのペトロフ家』『チェルノブイリ1986』と3本のロシア映画新作公開について書いてきたが、最後に、今回の戦闘を受けて緊急公開にこぎつけた1本のウクライナ映画を紹介したい。『ドンバス』。『アウステルリッツ』『粛清裁判』『国葬』のドキュメンタリー映画3本がすでに日本公開されているセルゲイ・ロズニツァ監督が『アウステルリッツ』(2016年)と『粛清裁判』(2019年)のあいだの2018年に作った劇映画である。

 西欧資本も取り込んだウクライナ映画『ドンバス』においては逆にむしろ、ウクライナ国民は蚊帳の外である。もっぱら東ウクライナのドネツィク州とルハンシク州――両州をあわせてドンバス地方と呼ばれる――在住の親ロシア派住民の行状にスポットが当たる。領内の少数民族が声を上げている、と言えば聞こえがいいが、画面に映るのはただ憎悪、暴力、報復主義、偏狭かつファナティックなナショナリズムばかりである。ここに映る親ロシア派住民は誰もがヒステリックに事態に対応しており、映画終盤の結婚式があたかも極右集会の様相を呈していくくだりは、もはや正視に耐えない。

『ドンバス』

 新郎新婦と式の参列者たちは、狂騒的に国歌を絶叫する。きわめて私的な儀式であるはずの結婚式で国歌が流れるだけもグロテスクなものだが、その国歌はロシア国歌に出だしは似通ったものである。どうやらそれは「ノヴォロシア」なる傀儡国家の国歌らしい。「ノヴォロシア」とは「新ロシア」という意味で、ドネツィク州&ルハンシク州のいわゆるドンバス地方の一部が独立を宣言してできた「国家」。そして現在激戦中のマリウポリと、すでにロシアが実効支配するクリミア半島も加えた版図が「ノヴォロシア」の未来地図らしいのだが、それはもちろん、プーチン大統領の思い描く領土的野心と合致する。そしてこの野心の醜さをセルゲイ・ロズニツァはひたすら凝視する。東京大学で近現代ロシア史を講じる池田嘉郎氏は『ドンバス』試写会後の講演において同作を、ルイス・ブニュエル監督『黄金時代』(1930年)を例に出して「グロテスク・リアリズム」と称していた。まことに言い得て妙であり、ロズニツァの「グロテスク・リアリズム」は、現代映画が提示しうる最も赤裸々なリアリズムと言っていいだろう。『ドンバス』は緊急公開ゆえ、上映期間が短い。ぜひお見逃しなきよう。

 本記事の冒頭でも書いたように、今回の蛮行はいっさいの正当化の余地もない。私たちに求められるのは、プーチン的なヒステリック・ヒロイズムに堕することのないものを見切ることであり、作品の声に耳を傾けること、そして映画というものの持つ力を信頼することである。そしてそれは私たちがプーチン的な粗暴さ、陳腐さに陥らないための道である。プーチンは若いころ優れた柔道家だったらしいが、今回のことで彼は柔道さえも侮辱したことになる。私たち映画を愛する者がすべきことは、ロシア映画をプーチンのロシアから解放することであり、私たちの愛、そして他者との共存への強い意志を映画の名の下に再認することである。

■公開情報
『インフル病みのペトロフ家』
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
監督:キリル・セレブレンニコフ
出演:セミョーン・セルジン、チュルパン・ハマートワ、ユリヤ・ペレシリド
原作:アレクセイ・サリニコフ著『インフル病みのペトロフ家とその周囲(邦訳未出)』
配給:ムヴィオラ
英題:Petrov’s Flu/2021年/ロシア=フランス=スイス=ドイツ合作/146分/DCP/カラー/日本語字幕:守屋愛
(c)2020 – HYPE FILM – KINOPRIME – LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – RAZOR FILM – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA – ZDF
公式サイト:moviola.jp/petrovsflu/

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