『私ときどきレッサーパンダ』が問いかける自分らしさ 思春期の変化には誰もが共感

 ディズニープラスで配信中のアニメーション作品『私ときどきレッサーパンダ』。ディズニー&ピクサーの最新作で、監督は短編アニメーション『Bao』で第91回アカデミー賞短編アニメ映画賞を受賞したドミー・シーが務めた。

 本作品は、ある日突然レッサーパンダに変化してしまう体質になった13歳の主人公・メイが思春期に訪れるさまざまな「変化」や過保護な母・ミンと葛藤しながら成長する物語。「思春期の変化」を描きながら、「自分らしく生きることの大切さ」を訴えた作品だと感じた。本記事では、作品のテーマやメッセージを、巧みな映像表現と併せて考察していきたい。

 『私ときどきレッサーパンダ』は、主人公メイの13歳という年齢が大事なポイントである。というのも、13歳は「子ども」とも「大人」とも判断しにくい年齢で、ちょうど思春期の時期だからだ。

 物語は、メイの体が突然レッサーパンダに変化するところから大きく動き出す。風呂場でその姿を見たメイは悲鳴を上げた。

 メイの悲鳴を聞いて、母・ミンは慌てて駆けつける。風呂場で悲鳴を上げているという点から、ミンはメイが初経を迎えたと判断。「女性になる第一歩なの」「体が変化してるのよ。恥ずかしがらないで」と、生理用ナプキンや痛み止め、湯たんぽなどを用意した。

 ここで描かれているのは、一般的に女の子が「大人の女性」になる生理現象のひとつに「初経」があるということ。映画やアニメーションの中で、「初経を迎える」描写がある作品はなかなかないため、新鮮だった。しかし「初経を迎える」のは女性にとって自然な現象である。むしろ、いつの間にかタブー視され、全く描かれない方が不自然だったように思えた。

 本作品の特徴は、「ある日突然訪れ、戸惑いながら受け入れていく」思春期の体の変化を「レッサーパンダになること」で表している点だ。体がレッサーパンダに変化することで、周りに知られたら恥ずかしく、自分で自分が変になってしまったと疑う「体の変化」をより分かりやすい形で描いている。

 本作品において、「レッサーパンダ」は思春期に訪れる「変化」の象徴だろう。レッサーパンダの描かれ方が、『私ときどきレッサーパンダ』を通して伝えたい「変化との向き合い方」なのだと思う。

 作品内で描かれている、13歳のメイに起きた「心の変化」についても紹介していきたい。メイは、異性に興味を持つようになった。ボーイズグループ「4☆Town」の熱狂的なファンであり、友人のミリアムたちといつも「4☆Town」の話をしたり、彼らの曲を歌ったりして盛り上がっている。

 ドラックストアで働く17歳のデヴォンも気になっていた。デヴォンが人魚の姿になっている様子や自分とデヴォンが見つめ合っているイラストを宿題のノートに描いて妄想していた。

 そのイラストを母親に見つけられ、デヴォンや同級生に知られると「私頭がヘンだ」「なぜ描いたのよ」と後悔し、自分を責める。だが「初経を迎えること」と同様に、異性に興味を持つこと、妄想することはおかしなことではない。心の変化も自然な変化なのである。

 「レッサーパンダに変化したこと」で、メイの心に大きな変化が訪れる。それは、優等生でいなければならない「義務感」からの解放だ。

 これまでのメイは、家の仕事を手伝ったり、テストを頑張ったりと、ミンの期待通りの娘だった。ミンが友人や「4☆Town」などメイにとって大切な存在を否定しても、反抗せずに黙って聞いていた。だがレッサーパンダに変化してから、ミンのプレッシャーから少しずつ解放されようと試みる。

 まず、ミンから反対されている「4☆Town」のライブに行こうと密かに決心。ライブのチケットを購入するため、友人たちとレッサーパンダの姿でお金稼ぎを始める。フワフワで大きく、包容力のあるレッサーパンダは、男女問わず学校中の人気者で、みんながレッサーパンダとのハグや記念撮影を求めた。

 メイは、レッサーパンダの姿で人と一緒に踊ったり、歌ったりすることでお金を稼ぎ、順調にチケット代を貯めていく。成績優秀で友人と遊んでこなかった彼女にとって、レッサーパンダの姿での経験はすべて新鮮で、楽しかった。

 「ライブに行くこと」や「レッサーパンダの姿でお金を稼ぐこと」はミンへの裏切り行為であり、ミンの言いつけに従順だったメイの心の変化のひとつだ。

 作中でメイが「私たち、明日ライブへ行ったら大人に一歩近づくんだね」と友人たちに話していたのが印象に残っている。メイにとって「大人」とは「母親に従うのではなく、自分の意志で行動すること」だと捉えていたのかもしれない。

 最終的にメイは、ミンとの約束か、友人たちと「4☆Town」のライブに行くかの選択を迫られ、友人たちと「4☆Town」のライブに行く方を選んだ。この場面が、ミンからのプレッシャーから解放されたことを物語っていた。

 本作品では「異性への関心」「親への反抗心」といった思春期に訪れる心の変化も自然なこととして描かれている。視聴者は、思春期の自分を思い出し、メイの気持ちに共感しながら作品を観るだろう。ちょうどメイと同世代の視聴者は、本作品を通して自分の変化を客観的に認識できるかもしれない。

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