『ウエスト・サイド・ストーリー』が示したメッセージと、作品に落とされたネガティブな影
『ウエスト・サイド物語』は、ブロードウェイ・ミュージカル(1957年初演)としても、ミュージカル映画(1961年)としても、世界中の観客を魅了し続けている、いまなおアメリカ娯楽文化の一端を代表する伝説的タイトルである。にもかかわらず、これまで新たな映画作品が製作されなかったのは、アカデミー賞10部門受賞の快挙を成し遂げた映画版『ウエスト・サイド物語』が、第1作にして決定版といえる存在だと評価されているからだろう。
この誰もが手を出しづらい、名作の再映画化に手を挙げたのは、こちらもアメリカ文化の“レジェンド”と呼べる、スティーヴン・スピルバーグ監督だった。本格的なミュージカル映画は初めてだというスピルバーグだが、現在の映画界において彼以上に娯楽大作を撮ることに熟達している存在もない。そんな伝説と伝説がぶつかることとなった本作『ウエスト・サイド・ストーリー』は、いったいどのような一作となったのか。様々な角度で内容を振り返りながら、その出来について検証・考察していきたい。
もともとのオリジナル舞台版を中心となって作り上げたのは、脚本を書いたアーサー・ローレンツ、演出と振付を担当したジェローム・ロビンズ、作曲家レナード・バーンスタイン、そして歌詞を担当したスティーヴン・ソンドハイムだ。彼ら4人はユダヤ人でありゲイとして偏見を浴びてきた経験から、自分たちのように大都会の少数の人間たちの苦しみを描くという構想のもと、ラテン系移民を中心的な題材とした現代的な舞台作品を、それぞれの分野から先鋭的に作り上げ、総合芸術・娯楽作品として圧倒的なものに仕上げたのだ。移民への差別だけでなく、貧しい若者たちの反動や、白人の中で偏見を受けている存在、女性や性的少数者が受ける苦痛など、様々な角度から現代社会の一部分を切り取った。
そのアプローチは当時、時代の数歩先を進んだものであり、現代の映画の作り手たちの意識に近しいものがあるといえる。くわえて、近年のアメリカ社会における、市民の政治的分断や、差別や暴力が深刻化してきている状況も、当時の舞台・映画作品の内容と合致するところがある。60年以上前に示された先進性と、現代社会の過去への揺り戻しからくる倫理的な後退によって、この題材と根底にあるテーマが、いままた重要なものとなっているのである。
その意味で、本作『ウエスト・サイド・ストーリー』は、分断や争いの要素をより強調したアプローチをとっている。脚本家トニー・クシュナーは、舞台作品『エンジェルス・イン・アメリカ 国家的テーマに関するゲイ・ファンタジア』の劇作でトニー賞を受賞し、スピルバーグ監督作では、とくに『リンカーン』(2012年)で数々の脚本賞を獲得している。まさに本作に打って付けといえる才能が、より現代の人々に合わせ、その内容を解釈し直しているのである。
スピルバーグらしい流麗なワンカットで、まず映し出されていくのは、物語の舞台となる1950年代当時のマンハッタン、ウエスト・サイドの一角に広がる廃墟。かつてアフリカ系住民が多く住み、やがて多数のラテン系移民が越してきたという、この周辺の土地は、当時大規模な再開発が進んでいて、芸術施設リンカーンセンターなどが新しく築かれようとしていた。本作の登場人物たちは、取り壊されゆく街のなかで、時代に置いていかれる貧困者たちなのである。ここでは、そんなニューヨークの歴史的背景が、オリジナル映画版よりもさらに印象的に描写されている。
そこに登場するのが、プエルトリコ系の不良グループ「シャークス」と、貧困白人の不良グループ「ジェッツ」の面々だ。人種間で隔たりのある両グループは、常に一触即発の関係。興味深いのは、我が物顔で街を闊歩しているジェッツの周りを歩いている通行人の多くは、ラテン系の住民たちだという描写である。アメリカではマイノリティといえるラテン系だが、様々な人種が暮らすニューヨーク、とくにこの地区内においては、ジェッツの側がむしろマイノリティとなる場面も少なくないほど、移民が急増していたのだ。
本作は、オリジナル舞台作品や1961年の映画版同様、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を下敷きとした展開で、このようにアメリカで現実に繰り返し起こってきた人種間の分断と暴力、その間で板挟みとなる恋人たちの物語を見せていく。
驚かされるのは、60年代の映画作品かと見紛うような、ヴィンテージを感じさせる雰囲気をまとった画面である。ここで重要な役割を果たすセットを用意したのは、ウェス・アンダーソン監督との仕事でも知られる、美術設計のアダム・ストックハウゼンである。いまやマンハッタンには高層建築が立ち並び、当時の面影はあまり残っていない。彼は、ニュージャージー州パターソンの街の一角にセットを構築し、クラシックカーを配置するなど、古い時代のニューヨークの姿を再現。その大規模な仕事が、作品に優れたリアリティと壮麗さをもたらしている。シャークスとジェッツの決闘の場となった塩の倉庫も、既存の倉庫に手を入れることで、本物のエイジングが施された、映画用のセットへと変貌させている。
スピルバーグ作品の多くの撮影を手がけている、ヤヌス・カミンスキーは、それらの場所に大規模な照明設備を持ち込み、画面の風合いをコントロールすることに尽力した。さらには陽光が照りつける野外セットでの撮影でも強いライティングによって統制された照明効果を作りだし、リアリティがありながら人工的な技術が光る、絶妙といえる映像世界を作りあげている。
セットと照明。この、ハリウッド映画の職人の粋といえる技術が、本作に多大な恩恵をもたらしたことは、本作のエンドクレジットで、その両方が主役となる映像が用意されていることからも分かる。しかし、俳優が演技して踊りまくる映画本編では、さらにそこに鬼気迫るような躍動的な撮影技術が重なっている。
ヤヌス・カミンスキーは『クール・アズ・アイス』(1991年)で、ラッパーのヴァニラ・アイスを主演とした音楽映画をすでに経験している。スピルバーグ監督とまだ仕事をしていない時代の同作の仕事でカミンスキーは、ぶっ飛ぶようなダイナミックさと、意外性があるトリッキーな試みが反映された、見事な撮影を披露しているのだ。いまではあまり振り返られることがない映画だが、カミンスキーの撮影の非凡さと、音楽との親和性が、ここによく示されているといえよう。