マギー・ギレンホールによる“母性信仰”に対する挑発 『ロスト・ドーター』の哲学的な問い

 『あの夜、マイアミで』(2020年)のレジーナ・キング、『PASSING -白い黒人-』(2021年)のレベッカ・ホールなどなど、女性の俳優が映画監督に進出する機会が、最近とくに増えている。ヴェネチア国際映画祭で脚本賞を受賞し、アメリカ国内でも数々の賞を獲得することとなり、大きく評価された配信映画『ロスト・ドーター』もまた、俳優マギー・ギレンホールの初監督作だ。

 イタリアの作家エレナ・フェッランテの原作小説を基にした本作『ロスト・ドーター』の大きな見どころは、『女王陛下のお気に入り』(2018年)でアカデミー賞主演女優賞を受賞した名優オリヴィア・コールマンが、センセーショナルな女性像を演じているという点である。

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 コールマンの役は、ギリシャの海辺の町へ一人でやってきた、大学教授のレダ。独り身の彼女は、ビーチのある観光地でバカンスを楽しもうとしていたのだ。頑健な初老の男性(エド・ハリス)や、チャーミングな男子学生(ポール・メスカル)との交流など、少々心をざわめかせる出会いを経験しながら、ビーチでゆっくりと時を過ごす彼女だったが、そこで若い母親(ダコタ・ジョンソン)と、人形で遊ぶ小さな娘の姿を目にしたことで、大きく動揺する。この出来事をきっかけに、レダは若い頃の記憶を蘇らせていく。

 記憶のなかの若いレダを演じているのが、ジェシー・バックリーである。思い浮かぶのは、幼い二人の娘たちと自分との関係についてのエピソードばかり。レダは強い向学心や冒険心、そして性的な充足を求める情熱的な若者だったが、若くして結婚し子どもを産み、経済的にも余裕がないことで、育児にかかりきりになり、不満やストレスを溜め続ける毎日を送っていた。イタリア文学の研究や、ロマンティックな時間など、自分自身のやりたいこと、味わいたいことができない状態のなかで、彼女は自分の娘たちをうとましく感じていたのだ。本作が興味深いのは、そんなレダの感情が、あくまでフラットな視点から表現されている点だ。

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 幼い子どもたちは、ことあるごとに泣きわめき、ときに我慢ならないことがあると親を叩くなど、レダの精神を消耗させ続ける。しかし、子どもの教育が大変なのは、彼女の家庭だけの問題に限らない。そもそも、子どもを産んで育てるという決断をしたのは、レダ自身なのである。夫とともに子どもたちを育てる責任が、法的にも道義的にもあるのは間違いない。

 とはいっても、ローテーションで子どもの面倒をみるという事前の取り決めを夫が守らず、結局レダが育児に忙殺されることになることとなり、負担を強いられ疲弊していくことまでは、若い彼女には予想できなかっただろう。同じような構図は、いまの社会でも多くの家庭で見られるものだ。

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 子どもを育て上げなければという義務感と、自分自身の時間を生きたいという願い……この二つの感情が、若き日のレダを苦しめ、さらにはバカンスを楽しもうとする現在のレダをも、後悔というかたちになって追いかけて苦しめていたのである。

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