小野花梨×見上愛、『プリテンダーズ』独自の現場で広がった世界 正反対の2人が語り合う
映画『プリテンダーズ』が公開中だ。本作は、SNSを武器に、引きこもりのひねくれ者・花梨(小野花梨)と、花梨の唯一の理解者であり親友・風子(見上愛)、ふたりの女子高校生が騒動を巻き起こすシスターフッドムービー。
熊坂出が監督を務めた本作のメッセージを伝えるのは、2人のセリフの数々。リアルサウンド映画部では、物語の主人公として、スクリーンを大きく占める花梨と風子を演じた小野と見上にインタビュー。本作ならではの経験から、役柄との共通項、作品を経て広がった自身の世界まで話を聞いた。
「一緒に思い合って生きていける社会に」
ーー『プリテンダーズ』は2人の演技が作品のメッセージを体現しています。プレッシャーも大きかったのでは?
小野花梨(以下、小野):撮影が大変じゃなかったといえば嘘になります。いや、大嘘ですね、大変でした(笑)。どれも、ちょっとやそっとでできるシーンではないし、コロナ禍で撮影がストップして、次、いつ撮影できるか分からないという状況もありましたし。まだ撮影が残っているパートの内容をコロナ禍に合わせたものにアップデートしたりもしました。気づいたら作品が出来上がっていたという感じです。ゴールに向けて走ったというより、走っていったらゴールがあった、みたいな。
見上愛(見上):本当にそうですね。花梨ちゃんと熊坂出監督とは、気づいたら、作品についてやそれ以外のこともたくさん話しました。同じものでも、お互いが全然違うように見ていたり、生活の考え方の違いも、そうやって話す中で気づいていきました。
ーー監督とも何度も綿密に相談して作り上げたと。
小野:熊坂監督は多分どの現場でも言われていると思うんですが、「台本通りにする必要はない」と。感じたものだけ言っていいというスタンスが私としては新鮮でした。
見上:熊坂監督は、リハーサルのときに「今やってみて、違和感は?」「どう思った?」と毎回聞いてくださるんです。それで、「別にこう動きたいとは思わなかったです」「なんでこれを言うのか分からなかったです」と自分の意見も交えてディスカッションをして、1シーン1シーン、セリフを削ったり、調整してくださって。そんなにたくさんの時間をとってくださることもなかなかないと思います。
ーー出来上がった作品を観ていかがですか?
見上:どうしても撮影のときの思い出とは完全に切り離して観ることはできないんですが、撮影時は10代で、今20代としてこの作品を観ると、ちょっと感じるものが違うんです。世の中にある程度歪みがあって、こういうことで悩んでる人もいるとか、SNSでこういう問題があるとか、今だとどこか納得する自分がいるんですが、撮影のときは、そこまで世界全体を見渡すことができていなかったと思います。
小野:私は、花田花梨というキャラクターにすごく共感できるんです。年齢や性別が自分に近い設定だという以上に、その心の在り方が私と似ている気がして。花田花梨が苦しいと私もすごく苦しいし、「なんでみんなこんなにこの子をいじめるんだろう」と思ってしまいます。でも、観る人によっては花田花梨に嫌悪感を感じる方もいらっしゃると思うんです。誰に共感するか、自分が社会的にどういう立ち位置なのかということでも、この映画の見方が変わる気がします。私は花田花梨寄りの人間で、愛ちゃんはどちらかと言うと風子寄りの人間なんです(笑)。
見上:うん(笑)。風子寄りで見ているから、花梨みたいな子を助けてあげたいし、一緒に思い合って生きていける社会にならないかなと考えますね。
ーーお二人にとって作中で印象的なセリフはありますか?
小野:スクランブル交差点のシーンで、「お父さんに褒めてもらいたかった。『よくやってるよ』って言ってもらいたかった」という花田花梨のセリフがあって。多分、みんなそれぞれ承認欲求はあって、その欲求がどこに向かうかで、人生も変わると思うんです。でも、自分の家族や親に認められたいってみんなに共通している感情なんじゃないかなと。私もそうでしたし、もっと言ってしまえば、人としての本質にもなっている気がして。もし、花田花梨がお父さんにそう言われていたら、この物語は始まってないとすら思います。だからそのセリフはちょっと気づきになったというか、100%共感したシーンでした。
見上:私は、スクランブル交差点の喧嘩に行く前のシーンで、「花梨ちゃん、ゴッホになれないよ。花梨ちゃんは花梨ちゃんなんだから」というセリフです。花梨ちゃんが言うように、誰かに憧れたり、誰かみたいになりたいという欲求って多かれ少なかれあると思うんですが、自分は自分だということからしか何も始まらないし、そういう欲求って一生満たされないということをすごく感じたセリフでした。