『ジュラシック・パーク』は“最も現実的な恐竜映画”として作られた 虚構を真実に変えた奇跡
1992年9月4日、カリフォルニアの科学者チームが2500万年以上前の琥珀の中に保存されていた絶滅種、ハリナシミツバチからDNAの一部を抽出し、精密な分子の塩基配列を決定したと報じられた。これは同じように琥珀の中に閉じ込められた小動物や虫……例えば、蚊にも応用できると考えられた。その蚊が、“もし”恐竜の血を吸っていたとしたら。この発表は『ジュラシック・パーク』のプロダクションが開始されて2週目のことである。
1993年に公開され、今日までもスティーヴン・スピルバーグ監督作の中で最もヒットした作品『ジュラシック・パーク』。本作を初めて観たとき、それが当時の映画館でも、VHSでも、DVDでも、そして今夜の金曜ロードショーといったテレビ放送でも、最初にグラントたちが目の当たりにしたブラキオサウルスがスクリーンに映る瞬間、誰もが「恐竜が蘇った」と信じたに違いない。その後に初めて姿を現したT-レックスも、大部分がアニマトロニクスで作られた故に、ますます「スピルバーグは本当にどこからか恐竜を見つけてきて、カメラを回したんだ!」と幼い頃の私は信じてやまなかった。
スピルバーグは“最高の恐竜映画”を作ろうとしたのではなく、“最も現実味を帯びた恐竜映画”を作ろうとした。『ジョーズ』や『未知との遭遇』でやったことと同じことをやろうとしたのである。特に『未知との遭遇』は冒頭から、バミューダ・トライアングルで消息を立った戦闘機という現実に起きた実例をふまえたことで、それが再び出てきたという話の展開にリアリティをもたせた。科学的およぶ通俗的双方の認識をベースに映画が作られたため、UFOや宇宙人に真実味があったのだ。彼はそれを『ジュラシック・パーク』にも持たせようとした。なぜなら、作品の根底にある「人類への警鐘」というメッセージを力強くさせるためにも必要だったからだ。
のちに『ER緊急救命室』としてドラマ化されるノンフィクション『五人のカルテ』を、スピルバーグは映画化しようと原作者のマイケル・クライトンとやりとりをしていた。そして何の気なしにこの脚本以外に何かないかと聞いたら、クライトンが「ちょうど恐竜の本をちょうど書き終わったところさ」と答えるので、恐竜好きのスピルバーグはすぐに食いつく。そしてゲラ刷りを読むと、この映画化権がハリウッドで争奪戦になることを確信。案の定、ユニバーサルのスピルバーグのほかに20世紀フォックスはジョー・ダンテを、ワーナー・ブラザーズはティム・バートンを、トライスター系列のグーバー=ピーターズ・エンターテインメントからはリチャード・ドナーが名乗りをあげた。しかし、クライトンは最も信頼できる相手に本作を託した。
実はクライトン、1981年にはすでに『ジュラシック・パーク』の前身にあたる恐竜映画の脚本を書いていた。しかし、考えあぐねて数年寝かしてしまう。そして時は経ち、1989年には赤ちゃんを身ごもった奥さんと玩具屋を通りかかる度に、いつもどうしても恐竜のぬいぐるみばかり買ってしまうように。「女の子なのに、どうしてそんな恐竜ばかり買うの」と奥さんは呆れるも、クライトンは「女の子だって恐竜が好きだよ」と答え、子供や恐竜に対して高まった強い興味と感情を、放り投げていた脚本のアイデアにぶつけ、小説として蘇らせることにしたのだ。
クライトンの功績は、科学的な視点からも冒険活劇的の面からも、恐竜が今の世界に生き返っても不思議ではないという根拠を『ジュラシック・パーク』に持たせたことにある。これは起こりうることなのだと、論理的に展開してみせたのだ。そしてスピルバーグの功績は、そんな彼のアイデアに最先端のVFXを駆使して視覚的根拠を持たせたことにある。なお、学術的および研究結果と比べて本作に登場する恐竜が論理的で正しいか、という論点に関しては置いといておこう。