現代の目で観るからこその切迫感 サイコスリラー『すべてが変わった日』が映す異常な世界
その後、マーガレットはブランチに向かって、義理の娘がドニーから暴力を受けた光景を目撃したと告げることになる。だが、あろうことかブランチは、「はん? ドニーが暴力を振るったって? ……こんな風にかい!!」と、マーガレットに思い切り平手打ちを放つ。もはやこの女、完全にまともではない。しかし、このウィーボーイの町では、そんな仕打ちを訴え出ても、どうにもならないのだ。あろうことか彼女たちは、町の保安官までをも手中に収めていたのである。
ブランチたちの雑言や態度は、60年代としても社会的にあり得ないものだが、この町、この家という限定空間に限っては、多数派の意見であり、力を持った言葉となる。それは、現代のSNSにおいて、同じ思想を持った者同士が集まることによって差別的な思想やデマなど現実の社会では許容できない言説が通用してしまう状況に似ている。まだリテラシーが育っていない人が、そのような環境にさらされれば、悪影響が出るのは分かりきったことだ。
心配なのは、孫のジミーが暴力にさらされるだけではなく、彼がそのような人間たちと共に暮らし、差別的な発言を日常的に耳にすることで起きることで予想される、未来の悲劇でもある。本来であれば愛情を一身に受け、善悪の違いを学んでいくはずだったジミーの人生は、悪意と偏見で塗りつぶされてしまうかもしれない。この恐怖は、同様の問題が渦巻く現代の目で観るからこそ、より切迫感があるのだ。その意味でも、是が非でもジミーを連れ戻さなければならないのである。この暴力と狂気が支配する家で、孤立無援の夫婦の救出作戦は、果たして成功するのだろうか……。
本作の特徴は、このようなサイコスリラーとしての一面だけではない。元保安官のジョージや、彼の経営する牧場、華麗な乗馬シーン、ならず者の一家、先住民の青年が登場するなど、その要素は時代が異なるものの、多くの西部劇に共通するものだ。警察が正常に機能せず、地方の有力な者が武力によって近隣を支配している状況というのも、無法者が跋扈する西部開拓時代に重ねることができる。
本作の時代設定である1963年は、ちょうど人種差別の撤廃を目的とした「ワシントン大行進」が行われた年だ。その頃、まだ一部の州では、肌の色による差別的な人種隔離政策が現役だった。映画では、小説家ラリー・ワトソンの原作から時代設定を少し変化させているが、この象徴的な年に舞台を移したのは、アメリカが大きく変わることになった一つの時代と、劇中の悪との戦いをダイナミックに連動させたようにも感じられるのである。
だが本作は、正義のヒーローが悪漢と正々堂々と渡り合った『シェーン』(1953年)のような西部劇とは、一線を画しているのも確かだ。ジョージは元保安官ではあるが、正義に燃えていたはずの若い頃とは異なり、人生にはどうにもならないこともあるということを、経験で知っている。彼はその意味で、かつて誰もが憧れた西部劇のヒーローになることはできないのだ。そしてそれは、個人の力ではどうにもならない問題が山積する現代を生きる、われわれの実感とも重なるところがある。
しかし、ジョージには妻のマーガレットがついている。マーガレットが彼に正しい行いを説き、勇気づけることで、ジョージは勇気を振り絞って強大な敵ウィーボーイ一家に立ち向かう勇気を得ることになる。そして、何より幼いジミーの存在が、彼をさらに前へと進ませる。その描写によって本作は、一人では無理でも、複数の人間の存在によって正しい行いができることを示した映画だともいえるのだ。われわれが心を寄せられるリアリティを持った“現代の西部劇ヒーロー”を思い浮かべるならば、まさに本作の夫婦の姿であったり、彼らのように正しい戦いに身を投じる者に協力することのできる人物の姿なのかもしれない。
■公開情報
『すべてが変わった日』
TOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイントほかにて公開中
監督・脚本:トーマス・ベズーチャ
原作:ラリー・ワトソン
出演:ダイアン・レイン、ケヴィン・コスナー、ケイリー・カーター、レスリー・マンヴィル、ウィル・ブリテン、ジェフリー・ドノヴァン、ブーブー・スチュワート
配給:パルコ ユニバーサル映画
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公式サイト:https://subetegakawattahi.com/