『まめ夫』の元夫たちは“妖精”? とわ子の命題を通して描かれた、矛盾を肯定する生き方

三人の元夫の使命

 覚えているだろうか。この三人の元夫との再会のきっかけは、母・つき子の葬式なのだ。まるで彼女が再びとわ子に引き合わせたような彼らは、その後それぞれがとわ子と過ごした時間を彼女に思い出させる。それは、とわ子が“愛された記憶”であり“愛した記憶”。つまり、過去の彼女の、彼らと結婚したという選択や彼女自身の肯定でもある。

 主人公の母の死という出来事から始まったドラマは、ちょうど真ん中で親友かごめ(市川実日子)の死を描く。この時、とわ子の前に現れたのは彼女の「過去」である元夫たちとは対照的な存在、小鳥遊大史(オダギリジョー)という「未来」だった。とわ子自身、この時自分が前に進むためには、「未来」を選ぶ方が幸せになるのではないかと考え、それに伴って「仕事をする自分」と「恋をする自分」という矛盾を分けようとした。しかし、ここで先述の「矛盾」を取り巻く問題に戻っていく。

 これまでのドラマの中で、しばしとわ子が「社長にならなきゃよかった」と愚痴ったり、建築に関する書籍を楽しげに読んだり、図面を生き生きと描き直すシーンが描かれてきた。それでも、やはり自分が社長という仕事をする意義も感じながら業務を全うしていく。ここにも「矛盾」が描かれている。しかし、中村慎森(岡田将生)が「働く君と恋をする君は別の人じゃない、分けちゃだめなんだ」と伝えた通り、その矛盾こそ「大豆田とわ子」なのだ。結果、自分自身でいることを選ぶにあたって「未来」ではなくその慎森の言葉や、かごめという“自分の愛した記憶”を分かち合える八作(松田龍平)の元へ訪れるなど「過去」を選び取った。そう、実はもうすでにとわ子の迷いの旅の答えは最終回の前話で彼女自身が得ており、最終回はその彼女を肯定し、背中を押すエピローグ的な役割を果たしている。

 そして、その肯定を担う元夫たちは突然家に押しかけてきたかと思えば、ずっと彼女に「僕たちは君が好きだってこと。大豆田とわ子は最高だよってこと」と言う。彼女が寂しくないように、楽しかった思い出を、愛に囲まれて生きてきた証拠を散りばめながら。彼らはとわ子が母を亡くした時から、彼女をずっと見守ってきた。幻想的なキャンドルシーンも相まって、いよいよ彼らが『眠れる森の美女』に出てきたような、3人のフェアリーゴッドマザーのように思えてしまう。安心して眠る彼女を見つめながら、「こういうこともずっと続かないだろうけどね」と言いつつ、とわ子が起きると示し合わせたようにクスクス笑いながら、また彼女を肯定する。彼らはもしかしたら、とわ子がとわ子でいられるために、彼女自身のひとつの答えが出せるための道を案内してきた“妖精”だったのかもしれない。一方、第9話で慎森が「人の孤独を埋められるのは愛されることじゃない、愛することだよ」と言っていたこと、佐藤鹿太郎(角田晃広)が「いくつになっても寂しい」と言っていたことを思い出すと、妖精たちもまた、とわ子を愛し続けることで孤独という穴を埋めていたのかと思うと切ない。

 そうして導き出され、彼女が出した答えは、「私の好きは、その人が笑っててくれること。笑ってくれたら、あとは何でもいい! そういう感じ」。

とわ子と網戸の行方

 ドラマの第1話からそこにあり続けた“網戸”の問題も、最終回で解決された。「網戸が外れるたびにもう一回恋しよう」と思う、とわ子。しかしそれを直してくれる相手は三人の元夫でも、小鳥遊さんでもなかった(直せたが、すぐに外れるというのがとわ子と彼の関係のメタファーになっている)。では誰が、網戸を完璧に直せたのか。それは、とわ子の父親・旺介(岩松了)だった。

 彼女と父の関係性についてはこれまで深く語られてこなかったものの、娘を「あなた」呼びしたり、とわ子が元参議院議員の父と無関係でいたいような素振りを見せたり、少し距離のある父子だったことが窺える。そして、マーの元へ訪ねた日の夜、家にやってきた父がリビングに置いてあった『羊たちの沈黙』の半券を見つけた。「1人で観に行ったなあ」の一言で、あの手紙とともにあった映画の半券たちは母が入れたものではなく、父が入れたものだったことがわかる。あの手紙のことも、つき子のことも、全て彼は知っていたのだ。そこでようやく親子が向き合って本音を話し始めたことで、とわ子がなぜ“1人で大丈夫”になったのか、その背景が明かされた。ドラマにたびたび出てくる書き初めで達観した言葉をしたためていた幼いとわ子が、「お父さん、お母さんどこに行くの」と言っていたことについて考えさせられる。

 「お父さんとお母さんが、あなたを転んでも1人で起きれる子にしてしまった」、そう自分の不在を詫びながら網戸を直す父。そもそも、何度も外れる“網戸”は何を意味していたのか。それは、とわ子の存在そのものなのかもしれない。彼女のルーツにある、外れる原因がわかっていなかったから、とわ子自身も含め皆きちんと直すことができなかった。それを母亡き今、唯一知る父親だったからこそ、直せたのだ。そして彼が直せたことによって、とわ子は直し方を知り、恋した誰かに直してもらうのではなく、自分で“網戸”を直せるようになったのである。

固定観念を覆す 矛盾を肯定して生きていくこと

 ところで、最終回にはたくさんの「固定観念を覆す」モチーフが登場した。母の想い人が男性だと勝手に決めつけていたが、実は女性だったこと。女性の人生の幸せにまつわる固定観念と、それを打ち砕いた主人公。大人になってからだって、学んでもいい自転車の乗り方。夜中に食べる、朝ごはん。そもそも、大前提に元夫たちが仲良くしていること自体、固定観念が覆されている。

 それは全て、誰かに決められたことではなく、自分自身が決めた自分らしく生きる道を選び取ることに繋がっていく。唄が医者を再び目指すこともそうだが、ラストシーンで登場したこれまで元夫たちと一悶着あった女性たちのその後もそう。三ツ矢早良(石橋静河)が啖呵を切っていたので、あの時はこのドラマのラストではそれぞれ別の男性といるシーンが描かれるのかもと思いきや、代わりに彼女たちが選び取った、彼女たちの道が描かれていた点も意味深い。その点でも、『大豆田とわ子と三人の元夫』は単純な“恋愛ドラマ”ではなかった。

 自分を生きることは、「矛盾」との共存だ。選び取る必要はない。1人の中にいくつもあって、嘘じゃない今の自分も、過去の自分を肯定して歩んでいくこと。生まれ持った穴を埋めるために生きることを肯定することを描いた本作は、その中に詰め込まれた様々な登場人物たちの視野や台詞は、視聴者である我々の頭で反芻し、先の見えない物語の中でいかに曖昧で、純粋で、自分で決めた自分の幸せの姿でいるかについて考えさせてくれる。

■アナイス(ANAIS)
映画ライター。幼少期はQueenを聞きながら化石掘りをして過ごした、恐竜とポップカルチャーをこよなく愛するナードなミックス。レビューやコラム、インタビュー記事を執筆する。InstagramTwitter

■配信情報
『大豆田とわ子と三人の元夫』
カンテレドーガ、TVerにて見逃し配信中
出演:松たか子、岡田将生、角田晃広(東京03)、松田龍平、市川実日子、高橋メアリージュン、弓削智久、平埜生成、穂志もえか、楽駆、豊嶋花、石橋静河、石橋菜津美、瀧内公美、近藤芳正、岩松了ほか
脚本:坂元裕二
演出:中江和仁、池田千尋、瀧悠輔
プロデュース:佐野亜裕美
音楽:坂東祐大
制作協力:カズモ
制作著作:カンテレ
(c)カンテレ
公式サイト:https://www.ktv.jp/mameo/
公式Twitter:@omamedatowako

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