『スタンド・バイ・ミー』が描く“二度と戻らない夏” まとわりつく死の影と街の秘密

 何度も観ているのに、映画が始まって暗い画面に大きく浮かび上がるタイトルを見て、あの曲の片鱗を聞くだけで喉の奥がキュッとしてしまう。『スタンド・バイ・ミー』は、そういう作品だ。

 主人公の作家ゴーディが、早すぎる遠き日の親友の死を知り、彼や仲間と過ごした忘れもしない夏の思い出を振り返る本作。スティーヴン・キングが執筆した『恐怖の四季』に収録された短編小説『THE BODY(死体)』が原作である。スティーヴン・キングと聞けば、殺人ピエロや殺人ホテル、殺人トラックなどの“怖い超常現象を書く人”として思い浮かべる方も多いだろう。一方で、無罪でありながらも長年刑務所に囚われた男の起こした奇跡を描いた『ショーシャンクの空に』や、同じく刑務所に冤罪で囚われた心優しい男の起こした奇跡と悲劇を描いた『グリーンマイル』を書いた人物でもある。どちらも誠実な人間が収監されてしまうという点では恐怖作品とも言えるが、世界的に感動的な名作として知られる。キング自身、ファンの人に「スティーヴン・キングが『ショーシャンクの空に(刑務所のリタ・ヘイワース)』を書いた人物ではない」とまで言われてしまった始末。『スタンド・バイ・ミー』も同列の感動作品にあたるが、実のところ最も彼のパーソナルな部分が詰まった、キング的な作品でもある。

父親と死。S・キングにとって最も私的な『スタンド・バイ・ミー』

 “初めて死んだ人間を見たのは12歳の時だった”と、リチャード・ドレイファス演じる大人になった主人公の独白で始まる本作。キングが(おそらく)初めて死んだ人間を見たのは、彼が4歳頃の時だった。彼には今でもその時の記憶がないようだが、幼いキングは線路沿いに住む友達の家に遊びに行くと、すぐに真っ青な顔をして帰ってきた。そしてその日は一言も口を聞かなかったそうだ。のちに、一緒に遊んでいた友達が列車にぶつかって死んだことがわかった。このことを、キングの母親は数年後本人に話して聞かせる。

 キングが書くほぼ全ての恐怖小説は、彼自身の抱く恐怖に基づく。本人はそれを物語に書き起こすことで、一種のセラピー療法のようなことをしていると言う。『スタンド・バイ・ミー』の原点は、そんな彼の幼少期のトラウマにあるのだ。そして、登場する4人の少年たち。作家の才能があるゴーディ、不良一家の次男でリーダー格のクリス、常に怒りを抱えるミリオタのテディ、ナイーヴでぽっちゃりなバーン。一見、みんな個性豊かでバラバラではあるが、彼らは“全員”スティーヴン・キングの分身的な存在だ。子供の頃、バーンのように太っていたキング。彼はクリスのように街を出て、テディのように町工場で働き、ゴーディのように作家になった。しかし、何より『スタンド・バイ・ミー』の中で色濃く描かれているキング的な要素は、「父親」と「死」だ。

 キングの「父親」は、彼が本当に幼い頃、タバコを買いに行くと言ったきり家に戻ってこなかった。自分と兄の二人の息子を女手一つで育てた母親の苦労を垣間見たとき、キングは父を恨んだこともあったという。そのため、キング作品に登場する「父親」は基本的に酷い。本作でもゴーディの父が、死んだゴーディの兄が好きなあまり、残されたゴーディを彼と比べて嫌う。テディの父は戦争のPTSDに苦しみ息子に暴力を振るう。クリスの家庭環境も劣悪だ。そんな彼らが線路を歩いて「死体」を探す旅に出る。

 子供の頃、「死」というものは意識をし始めると、そこらかしこにあった。むしろ、道路で「白い線から落ちたら死ぬ」とか、自転車に乗りながら「マンホールの上に乗ったら死ぬ」みたいなゲームさえしていた記憶がある。本作でも凶暴な年上の不良たち、すぐに子供が盗み出せる父親の拳銃、“あそこ”を噛むよう訓練された犬、迫り来る列車、ヒルの大群、コヨーテと、少年たちの周りには死の気配がつきまとっている。何よりこの旅自体、主人公ゴーディにとっては「死体」を見るだけが真の目的ではない。兄の葬式に涙を流せずにいて、意味もわからず父親に嫌われる彼が「死」を受け入れるためのクロージャー、気持ちの整理の旅なのである。

 それに寄り添う仲間たち、特にクリスは不良一家の出でありながら誰よりも心優しい。喧嘩をするたびに、ちゃんと率先して手を差し出して仲直りをしようとする。メンバーの中で最も成熟した価値観の持ち主で、自分より勉強ができて将来有望なゴーディに、自分たちのような下とつるむのはやめろ、「自分を落とすな」とまで言う。なによりもゴーディの父親が彼の物書きとしての才を見下していることを知った上で、クリスだけは、それを理解し、褒めた。線路の上で、「ロリポップ」を口ずさみながら先を歩くテディとバーンが知らない、二人だけの進学を巡るこの一連の会話は映画の中で最も美しい瞬間の一つだ。結局、ゴーディのことを信じ続けたクリスは、今度はゴーディに信じ続けられたおかげで一緒に進学クラスに進み、街を出て弁護士になることができた。その事実だけでも涙腺が刺激されるが、それでも二人は10年以上会っておらず、物語はそんなクリスの突然の訃報から幕をあける。やはり、この映画には「死」の影が尽きない。

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