宮世琉弥が体現するねじれた愛情 『珈琲いかがでしょう』青山はぼっちゃんを救えるのか
「眠れない夜は眠くなるまで寝なけりゃ良いんですよ」
珈琲に青山(中村倫也)を奪われたのはぺい(磯村勇斗)だけではなかった。青山があと一歩のところでたこ(光石研)との約束を果たせるかと思われたその時、彼を拘束したのは過去に足を洗った組のぼっちゃん(宮世琉弥)だった。青山の右手のグローブの秘密も明かされた『珈琲いかがでしょう』(テレビ東京系)第7話「ぼっちゃん珈琲」。
母親を亡くし、組の二代目の父親はいつも仕事に忙しく、学校でもいじめられっ子のぼっちゃんの面倒を見ることになったのがかつての青山だった。いつしかぼっちゃんの中で青山はどんなときでも自分の側にいてくれて守ってくれる、たった1人のヒーロー“とらモン”となった。
ぼっちゃんは「こんな大きな家で1人で寝るのが、1人でご飯を食べるのがいつもいつも怖い。ひとりぼっちが怖い」とこぼす。でも、ぼっちゃんは知らないのだ。愛を渇望できるということは、1人が寂しいと思えることは、裏を返せば“誰かと一緒にいた温かさ”を知っているということであり、“誰かに大切にしてもらえた記憶”があるということだ。そんな経験など一切持ち合わせていないどころか、たこに“誰かに大切に想われるのが怖いのだろう”と見抜かれていたのが、かつての青山だ。
ただ、ぼっちゃんにも同情の余地はある。日頃から大人にばかり囲まれ、ある意味上下関係のしっかりとした組織の長のせがれだということで、様々な人から距離を取られてきたのだろう。“丁重に扱われる”ことは、相手と自分の間に常に壁があることを見せつけられる行為でもあるわけで、“三代目”になることを当然のように求められ、弱音など吐けなかったのだろうし、無邪気に父親を独占し甘えることさえ叶わない。父親に“自分だけのたった一人の父親”でいてほしいと願うことさえできず、何人もの大人の男を従える威厳ある“組長”という姿の父親がデフォルト設定とくれば、自ずと嫌でも“自分だけの父親”ではないのだと思い知らされる。父親が無事に帰って来てくれるのかを不安に思いながらなかなか寝付けない日々。10歳の少年にとってはなかなか特殊な環境でハードモードだ。
また、ぼっちゃんの場合、“一度知ってしまったが故の喪失感”もあるのだろう。母親や青山に大切にされた記憶があるからこそ、そんな存在が何の前触れもなく自分の目の前からいなくなってしまったとき、愛情が、やり場のない悲しみや怒りが憎しみに変わってしまったのだろう。母親のときには彼女の病気が良くなるようにと何度も何度も祈ったのに願いを聞き入れてはくれなかった神様を。そして、青山の場合には本当だなんてつゆとも思わず、何気なく自分が言った指切りの約束を一方的に果たして去った青山自身を。また、自分がどんなに欲しても手にできなかった(と思っている)父親からの絶大な信頼を得て、さらにはそれでもなお、その父親からの信頼を手放してでも進みたい新たな居場所まで見つけた青山が心底羨ましく許せなかったのだろう(実際には、父親は青山にぼっちゃんの様子をよく聞いているようだった)。