橋田壽賀子さん、95歳で死去 泉ピン子「本当の娘のようにかわいがっていただきました」

 脚本家・橋田壽賀子(本名:岩崎壽賀子)さんが4月4日に亡くなった。

橋田壽賀子さん

 一般財団法人 橋田文化財団の発表によると、橋田さんは4月4日の午前9時13分、95歳にて息を引き取った。橋田さんは今年2月下旬から急性リンパ腫の治療のため都内の病院に入院。先月には自宅のある静岡県熱海市内の病院へと移り治療を続けていた。

 橋田さんは、1964年、TBS東芝日曜劇場『袋を渡せば』の脚本でデビュー。以来、今日まで55年以上にわたり、テレビドラマの脚本家として、数々の名作・ヒット作を生み、第一線で活躍し続けた。テレビドラマ史上最高視聴率を記録したNHK朝の連続テレビ小説『おしん』、戦国の世に語られることの少なかった女性たちを描いた大河ドラマ『おんな太閤記』、『春日局』など数多くの作品が並ぶ。また、石井ふく子プロデューサーとともに100作以上を描き上げた「東芝日曜劇場」で“ホームドラマ”のジャンルを確立し、『ただいま11人』(TBS系)、『つくし誰の子』(日本テレビ系)、『おんなは一生懸命』(TBS系)など多くの連続ドラマを執筆。なかでも橋田壽賀子ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は、1990年のスタートから2011年までの20年に亘り、10シリーズ・511話という歴史に残る連続ドラマとなり、現在もスペシャルドラマとして「家族」の物語が続いている。2020年には文化勲章も受賞した。

 石井ふく子プロデューサー、泉ピン子からはコメントが寄せられている。

コメント

石井ふく子プロデューサー

橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。「あなた一人でどこに行ったのよ」という思いでいっぱいです。
橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。
今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。

泉ピン子

昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。
橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。
今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。

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