『俺の家の話』が残した謎を考える 長瀬智也が演じた寿一とは何者だったのか?

 まさか本当に『俺の家の話』(TBS系)最終回で主人公の観山寿一(長瀬智也)が死んでしまうとは。第9話の伏線を回収するなら寿一の死エンドとかしか思えず、しかし、そんな悲しい終わり方があるだろうかと、信じたくない気持ちもあった。ドキドキしながら正座待機で迎えた最終回、その予想をさらに超え、寿一はエンディングで死ぬのではなく、いきなり死んでいた。ファーストカットで寿一の大きな体を焼く黒い煙が火葬場の煙突から立ち上っていた。

 脚本の宮藤官九郎は、現在のようにドラマで転生ものや入れ替わりものが流行する前から、それに近い現実離れしたストーリーを描いてきた。しかし、題材が異色でも構成はセオリーどおりにする作家なので、ミスリードを誘い作劇が破綻するようなことはしない。だから、寿一はこの物語で最初から死に向かっていたし、死ぬべくして死んだのだ。第1話冒頭、寿一のプロレスの試合を観る息子の秀生(羽村仁成)が書いた漢字は「死ぬ」だった。そして、父親の寿三郎(西田敏行)が言ったように、25年間、家族と絶縁していた寿一は、父が余命宣告されたタイミングで家に戻り、介護をしながら妹と弟、腹違いの弟たちの間を引っ掻き回して父に対する複雑な思いを吐き出させ、家族のわだかまりをなくすと、その父より先にあっさりと死んでしまった。

 宮藤官九郎が書くドラマにおいて、主人公や主要人物が死ぬ展開は珍しくはない。『木更津キャッツアイ』(TBS系)のぶっさん(岡田准一)は余命宣告された身で、さんざん死ぬ死ぬ詐欺をやった挙げ句、もうこのまま生き延びるのでは?と思わせたタイミングで力尽きたし、『11人もいる!』(テレビ朝日系)では一家の7人の子の実母メグミ(広末涼子)が死んで幽霊になっているところから始まっていた(死者が家族のひとりにだけ見えるという設定は本作と似ている)。映画だが『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』では、長瀬も寿限無役の桐谷健太も死後の世界に住んでいる。

 長瀬智也演じる寿一とは、いったい何者だったのか。英語ではお父さんっ子のことをfather’s sonなどと言うが、寿一はまさしく“父の息子”だった。能楽師の父親が自分を褒めてくれず愛情を示してくれないことに反発して家を出たが、結局、父親が好きだったプロレスの道へ進む。そして、父親の寿命が見えてくると家に戻り、40歳過ぎで能楽師になって跡を継ごうとする。だが、それは何よりも修業の積み重ねが物をいう伝統芸能の世界においては無理な話だった(近いパターンとして46歳で歌舞伎役者になった香川照之の例もあるが)。門弟たちは寿一が跡を継ぐことに反対し、異母弟の寿限無(桐谷健太)も寿一が彼に追いつけるのは「来世」とはっきり告げる。そこで能楽一本に絞ったならともかく、寿一はプロレスをやめられず兼業していたので、立派な能楽師になりましたというハッピーエンドはなりえなかった。

 能楽の面白さも知っていただろうが、寿一の心は明らかにプロレスにあった。それでも能の稽古に励んだのは、人間国宝である父の子であるというアイデンティティの再確認と父に褒められたいという願望ゆえだったのではないだろうか。しかし、寿一は褒めてもらえないまま、プロレスの試合で受けたダメージによって“リングに死す”ことになってしまう。死後にやっと父親から「人間家宝だ」と褒めてもらえたが、寿一はそれで本望だったのだろうか。幸せな人生を送れたのだろうか。

 そもそもテレビドラマはスター俳優ありきの産物である。そして、スターには劇団の座付き作家のように良い物語を作って演じさせてくれるシナリオライターが必要だ。綾瀬はるかに森下佳子がいるように、新垣結衣に野木亜紀子がいるように、香取慎吾に三谷幸喜がいるように、長瀬智也には宮藤官九郎がいる。作家はもともと人間観察に優れた人たちであるから、ドラマには何度も組んできたスターの強みだけでなく弱みも描き出され、それがおなじみのタッグの作品を観る楽しみにもなる。

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