三宅裕司が語る“舞台”へのかけがえのない想い 「生きてる限りやらなきゃいけない」
三宅裕司が率いるSET(エス・イー・ティー)こと劇団スーパー・エキセントリック・シアターは誰もが楽しめる“ミュージカル・アクション・コメディー”を作り続けて41年。三宅のほか小倉久寛や野添義弘などのベテラン俳優のほか、毎年新人俳優をオーディションで選び1年間レッスンを受けた練習生が卒業公演を上演し準劇団員を人選、新たな才能も増やしながら、舞台の笑いを追求し続けている。
年に1回の劇団の本公演がコロナ禍で危ぶまれながらも、様々な予防策と配慮のうえ10月に上演される。コロナ禍で溜まったストレスを解消できそうな歌ありダンスありアクションあり、笑いありの第58回本公演『世界中がフォーリンラブ』はSET史上はじめての「純愛」をテーマにした作品となる。誰もが楽しめる笑いの舞台の題材に「純愛」を選んだ理由、そこに込められた、三宅にとっての「笑い」、そして「舞台」へのかげがえのない想いを聞いた。(木俣冬)
“純愛”から浮かび上がってくるもの
ーー間もなく初日の幕が開きますが、コロナ禍に関する規制も緩和されてきました。今の状況をどのように感じていらっしゃいますか。
三宅裕司(以下、三宅):規制は緩和されればされるほど良いことだと思いますが、最も重要なのは、お客さんが安心して劇場に来ることができるかどうかです。規制緩和に従って満席にしたことで逆にお客さんに不安を感じさせてはならないという考えで、いまのところ“前後左右一人おきの席で半分の動員”というやり方は変えていません。稽古は三密を避けて徹底的に消毒して、自分の出番以外は稽古場に入らないように気を使ってやっています。稽古時間も分刻みで長引くことがないように、僕が稽古を繰り返そうとすると演出助手が「座長、もう終わりです。もうやめてください」と止めに入り、「いや、もう一回やりたい」「もうダメです。時間です」「わかった……」としぶしぶ切り上げています(苦笑)。
ーーコロナ禍によって、最初に考えていた公演内容をがらりと変えて、「純愛」をテーマにしたそうですが、なぜ「純愛」を取り上げたのでしょうか?
三宅:SETは旗揚げからずっと爆笑の連続の“ミュージカル・アクション・コメディー”を作り続けている劇団です。やや社会的なテーマを音楽と歌とダンスとそして全編笑いで構成し楽しく観てもらったあと、「テーマはなかなかすごいところを突いていたな」とちょっとした感動が味わえる。そういう芝居をずっとやってきました。今回も最初は、SNSをテーマにしていました。SNSがこんなに発達した今の社会で育った子供たちは将来はたしてどんな大人になるのだろうか、という恐怖感を描くことで現代のアンチテーゼになるものをと思っていました。ところがそこへこのコロナ渦です。誰もが苦しんでストレスも溜まっている最中に、将来の日本の社会の不安をテーマにした芝居は重すぎて観たくないんじゃないかと思い直しました。それなら全世界共通の「愛」ーーしかも「純愛」をテーマにしたほうが楽に観られるんじゃないかなと内容を変更したんです。
ーー「純愛」とはなんでしょうか?
三宅:作り始めたら「純愛をテーマにすることはなかなか難しいな」と改めて感じたというのが本音でしょうか。「これが純愛だ」と言っちゃえばなんだって「純愛」なんですけれども(笑)。愛って万国共通のもので、だからこそ人によって考え方が違います。「じゃあ、純愛ってなんなんだ」と聞かれたときに「こういうことでしょ」と答えられる人がはたしてどれくらいいるのか……。突き詰めていくと人間の本能のままに生きること、子孫繁栄のためにがんばることが純愛なのか。逆にそういう本能的なものを隠してプラトニックな部分、つまり清らかな部分が純愛というイメージもある。今回のお芝居には様々な愛の形が描かれます。当然「男女の愛」はありますし、「親子の愛」もあるし、「同性同士の愛」もある。「上司と部下の愛」もあるし「マザコン」だって愛のひとつでしょう。そんなふうに色々な愛を描きつつ恋愛映画のパロディもいっぱい盛り込みます。「純愛」とはこういうものと定義するのではなく、こんなにいろいろな愛の形がありますけれども、「皆さんはどう考えますか?」と問いかけるようなお芝居になると思います。
ーーソーシャルディスタンスの時代に、愛を表現するために、肉体的に濃密な接触は表現されますか?
三宅:SETではもともと濃密に抱き合うような表現は少ないですが、コメディーですので「笑いに持って行けばなんでもオッケー」みたいなところもあります。今回はソーシャルディスタンスを逆手にとった設定でお芝居をします。「誰にでも惚れてしまうウイルス」が蔓延した世界を描き、そんな状況だからこそ「純愛」とは何かが浮き上がってくるんじゃないかと思います。