ジム・キャリーはアニメーションと実写の境を超える “原形質性”から考える“デジタル時代の俳優”
『マスク』のCGはジム・キャリーの肉体を必要とした
今日、実写映画においてさえ、肉体の可変性はCGによって実現されている。そのことを端的に証明した作品が、ジム・キャリーの出世作のひとつ『マスク』(1994年)だ。本作の驚きは実写とアニメーションの垣根を払い、原形質的な魅力を実写映画で再現したことにある。
奇妙なマスクを拾った冴えない銀行員が、そのマスクをかぶると緑色の顔をした怪人に変身する。その怪人は、身体を自由自在に伸び縮みさせ、コミックキャラクターのように目玉が飛び出す。カートゥーン的なデフォルメを違和感なく実写映画に持ち込んだことが高く評価され、当時の観客に驚きを与えた。しかし、この映画の成功はCG技術だけでは語れるだろうか。CGによる肉体の可変可能性に説得力を与えたのは、CGなしでも顔面をしなやかに動かせるジム・キャリーだったのではないか。本作のCG技術は90年代としては確かに先進的で今見ても色褪せないが、CG未使用パートでも変幻自在に顔の筋肉を移動させる、ジム・キャリーの卓越した芝居があったからこそ、CGによるダイナミックな肉体変化に観客はリアリティを感じられる。
『マスク』という作品自体、原形質的なメタファーにあふれた作品でもある。主人公が初めてマスクをつける直前に、カートゥーンアニメーションをテレビで観ていたのは偶然ではない。金目当てのゴロツキに風船アートで犬やマシンガンを作ってみせるシーンも、なんにでも形状を変化させる原形質的な本質をとらえている。
土居伸彰氏は、CG時代の映像について興味深いことを語っている。
「メタファーとしての原形質性が発動しやすいデジタル時代のアニメーションにおいて実写とアニメーションが組み合わさるとき、アニメーションの方が実写よりもよりリアルに感じられる事態さえ生起する」(アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)刊行記念イベント 資料)。
凡百の役者が『マスク』の主演を務めたら、いかにCG技術がすごくともリアリティを得ることはなかっただろう(実際、ジム・キャリーが出演していない『マスク2』は、技術は向上しているはずなのに散々な出来だった)。ジム・キャリーという原形質的な役者がいたからこそ、あの極めてカートゥーン的な世界と現実空間とのリアリティレベルを合わせることができたのではないだろうか。
『ソニック・ザ・ムービー』でなぜジム・キャリーはなぜ「無意味」に踊るのか
『ソニック・ザ・ムービー』は、そんなジム・キャリーの原形質的な魅力を久々に堪能できる作品だった。本作で彼が演じるのは悪役のドクター・ロボトニックだ。マッドサイエンティストでソニックのスーパーパワーを手に入れるために、自ら開発した兵器でソニックを追い詰める。ジム・キャリーは自らの肉体とセンスを生かしてコミック的な芝居を披露する。それこそ、生身の肉体でフルCGのソニックとリアリティレベルで肩を並べていると言っても過言ではない。
本作で筆者が最も印象に残ったシーンは、ジム・キャリーのダンスシーンだ。大筋のストーリーの中では、およそ必要とは思えないダンスシーンがなぜか用意されているのだ。
このロボットダンスとパントマイムとスラップスティックコメディを足したようなシーンを作った真意は製作者たちに聞かねばわからない。しかし、この無意味なダンスシーンは無意味であるがゆえに重要だ。
エイゼンシュテインは、ディズニーのアニメーション『人魚の踊り』の形状変化に「純粋に形式的なもの」の素晴らしさを発見したのだと今井隆介氏は語る。
「小鳥のさえずりが意味ではなく音の響きそれじたいで聴く者の耳を楽しませくれるように、ディズニー作品は内容というよりもむしろ形式において観客を解放する」(『アニメーションの映画学』、P.19、第1章「原形質の吸引力」)。このダンスシーンにも「純粋に形式的」な魅力が溢れている。
エイゼンシュテインはスネーク・ダンサーにも原形質性の魅力を見出していた。ここでジム・キャリーがパントマイムによって披露した変幻自在のシチュエーション描写は、柔軟な肉体だけでなく、彼のセンスにもメタファーとしての原形質性が見て取れる。エイゼンシュテインが原形質性を発見したのは「人魚の踊り」だった。ダンスという抽象表現は、そもそも原形質的な魅力を発揮しやすいのかもしれない。
もうひとつ、蛇足的に付け加えるなら、ここでジム・キャリーが披露したのがパントマイムだったことも興味深い。パントマイムという技術は、一言で言うと「現実を再構築させる」芸術のことだ(パントマイムにおける模写的表現…イメージの再構築について)。
現実をつぶさに観察し、現実そのものを正確に再現するのではなく、重要なエッセンスをデフォルメすることで、見る者にリアルだと知覚させる。それはドローイングによってエッセンスを抽出し強調させることで、人間のリアリティを追求するアニメーションとどこか似ていないだろうか。
ちなみにここでジム・キャリーが披露している、恐竜に食われて首がなくなるパフォーマンスは、ディック・ヴァン・ダイクのTVショーへのオマージュだそうだ。ディック・ヴァン・ダイクと言えば、実写とアニメーションの融合に挑んだディズニー映画『メリー・ポピンズ』で知られる。アニメーションと実写の境界に挑んだ先人を参考にしたわけだ。