『映像研には手を出すな!』の美術における“日常”と“日本” アニメの世界は新たなフェーズへ?

 浅草みどりは文字通りアニメの“設定”の中に生きている。彼女にとっては、小学校の頃に移り住んだ芝浜団地も、入学したばかりの芝浜高校も、そして日頃歩いている芝浜の町並みも、すべてが冒険の世界であり、アニメの設定世界であり、そして「最強の世界」なのだ。彼女たちが、自分で思い描いたアニメの設定の中に突入し、生き生きと冒険を始める様は、この作品の最も大きな魅力の1つにもなっている。

 したがって、このアニメの作品価値を高めている重要な要素が“美術”であることは疑う余地がないだろう。本記事では、『映像研には手を出すな!』(以下『映像研』)の美術設定に注目しながら、本作の独特な世界観を明らかにしつつ、日本のアニメ作品における“日本”的なるものの可能性を考察してみたいと思う。

野村正信の美術

 『映像研』の美術監督を務めるのは、株式会社美峰の野村正信である。『月刊ニュータイプ』の2020年4月号には野村のインタビュー記事が掲載されており、本作の美術制作の舞台裏が語られている。

 野村によると、監督の湯浅政明からは「日常」「想像」「アニメ」の世界を描き分けるようオーダーが出されたそうだ(『月刊ニュータイプ 2020年4月号』KADOKAWA 2020年 pp.28-29)。「日常」の世界とは、主人公たちが生きるいわば“地の世界”であり、アニメキャラとしての彼女たちと馴染む通常のタッチで描かれている。「想像」の世界は、主に浅草の思い描く設定、つまり文字通り「イメージボード」の世界であり、本作では淡い水彩画風のタッチで描かれる。「アニメ」の世界は、彼女たちが創作した、アマチュアテイストの残るアニメの世界である。

 この中でもまず面白いのが、「日常」の世界だ。言うまでもなく、『映像研』は“ご当地アニメ”ではない。2050年代の架空の町「芝浜」に舞台が設定されており、学校や町並みも含め、そこに描かれているのは現実にある風景ではないからだ。しかしだからと言って、近未来SFのような世界とも違う。食堂での注文方法など、一部の描写に近未来感はあるが、この世界の基調を成しているのは、コインランドリーや昔ながらのラーメン屋、寂れた商店街、あちらこちらに見られる廃墟や廃物など、今の日本の日常的風景と地続きでつながっている世界だ。それは決して遠い異世界や未来世界などではなく、僕らにとって馴染みのある風景を縦横に拡張し、立体的に積み重ねた、“近い異世界”とでも言うべきものである。

 まず、複雑に入り組んだ“近い異世界”としての「現実」がベースとしてあり、そこを浅草たちが冒険する。それがすでに“ダンジョン探検”として面白い。そこに浅草たちの「空想」が折り重なる。それは「現実」を基にしていながらも、彼女たちの想像力によって自由自在にリドローできる可変的な世界だ。そのようなアモルファスな「空想」が、やがて金森氏の現実主義的なリードと水崎氏の実作業によって、「創作」としてのアニメに仕上がっていく。馴染みの世界が徐々に創作の世界へと転じていくこのワクワク感を、野村の美術はそれぞれに異なるタッチを用いることで、重層的かつ魅力的に描き出すことに成功している。

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