キム・ギドクの苛烈な思考実験をどう受け取るか 『人間の時間』が突きつける人間の欲望と宿業

 2020年2月9日(日本時間10日)、第92回アカデミー賞でみごと主要4冠獲得ーー『パラサイト 半地下の家族』(2019年)で堂々オスカーを手にし、国家的英雄の位置にまで「上昇」を極めたポン・ジュノとは対照的に、同じく韓国映画きっての天才監督でありながら、まるで呪われたように「下降」の運命をたどっているのがキム・ギドクである。

 具体的には性器切断をモチーフとした漆黒の家族劇『メビウス』(2013年)を途中降板した“女優A”が、2017年になってキム・ギドクを告訴したことが発端。彼女は台本にないベッドシーンを強要され、監督から頬を殴られるなどの暴行を受けたと主張。ギドク側は大枠の事実を認め、裁判所は約50万円の罰金の支払いを命じた。ところがさらに2人の女優からの告発が続き、そのひとりはレイプを訴えた。この件は大問題となり、ハリウッドを席巻する女性のエンパワーメントーー#MeTooやタイムズアップの波とも重なるように、韓国映画界の異端児は男性原理に支配されてきた映画業界の悪習、パワハラ・モラハラ・セクハラの代名詞として吊し上げられてしまったのだ。

 もっともキム・ギドクをめぐる人的なトラブルはそれが初めてではない。オダギリジョーを主演に迎えた『悲夢』(2008年)の撮影中、ひとりの女優が危うく絶命しかける事故が発生。ギドクはショックを受けてしばらく映画界を離れ、人里離れた寒村の小屋でひとりぼっちの隠遁生活を3年間も送った。「奇行」とも呼ばれたその期間の姿を自ら記録した映像は『アリラン』(2011年)という異色のセルフドキュメンタリー作品にまとまり、これが東京フィルメックス観客賞、カンヌ国際映画祭〈ある視点〉部門最優秀作品賞を受賞。ある時期まで、国際的な名声ではギドクこそ韓国映画界でトップと言え、『サマリア』(2004年)でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)、『うつせみ』(2004年)でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)、そして『嘆きのピエタ』(2012年)では同映画祭金獅子賞など華々しい受賞歴を誇っている。

 だがギドクは、ポン・ジュノのように大作規模などへと“キャリアアップ”することなく、福島第一原発のメルトダウンを主題に日本で撮影した『STOP』(2015年)、朝鮮半島の南北分断を扱った傑作『The NET 網に囚われた男』(2016年)など、よりインディペンデントで先鋭的な映画作りに駒を進めた。もしかしたら彼には自ら「下降」を志向する宿業が備わっているのかもしれない。

 むろん娼婦、ヤクザ、浮浪者、泥棒、世捨て人など、社会の周縁で生きるアウトサイダーの生態に寄り添い、特濃の哀切美に満ちた独自の寓話に昇華するカルト作家の特質と、現在ギドクが置かれている社会的な「下降」とはまた別の話だ。しかし彼の作品まで制度的な善悪やモラルという物差し、良識のコードで裁かれかねないジレンマに関しては、芸術活動の内実に多少なりとも通じている人なら容易く理解できるはずだ。

 単純な事実、一般世間にいくら糾弾されても、もっと端的に言えばたとえ「人間的にクソ」でも、別にアーティストの才能が目減りするわけではない。例えばギドクの敬愛する画家エゴン・シーレ(ギドクは初期の『悪い女~青い門~』(1998年)や『悪い男』(2001年)にシーレの絵画を登場させている)が未成年の少女との性的問題を何度も起こしたとしても、あるいはゴッホとゴーギャンの同居生活に陰惨な諍いがあったとしても、彼らの絵画の唯一無二の美がなんら変わらぬように。

 ギドクの2018年の新作『人間の時間』は、やはり彼らしい攻めの姿勢を崩さず、凄まじくも美しく、相変わらず素晴らしい。どのカットにも作家のサインが刻まれた圧巻のシグネチャーモデルである。

 『人間の時間』の舞台はひとつの船である。第二次大戦で使用された軍艦、デストロイヤー(駆逐艦)が、旅客船として約100人を乗せて出航する。乗客の中には居るのはクルーズ旅行に来た日本人のカップル(オダギリジョー、藤井美菜)や、韓国の有力な国会議員(イ・ソンジェ)とその息子(チャン・グンソク)、彼らの警護を申し出るヤクザ(リュ・スンボム)たち、娼婦たち、若者たち、謎の老人(アン・ソンギ)など。彼らは“ある事件”を引き起こす狂乱の一夜を過ごした翌朝、自分たちの船が霧に包まれた未知の空間で浮遊していることを知るーー。

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