『心の傷を癒すということ』が描く“あの日までの日常” 時間の残酷さを突きつける驚くべき構成

 2020年、神戸。西日本が誇るベイエリアの佳景が俯瞰で映し出され、瀟洒な街並に位置する東遊園地では、今年も恒例の「阪神淡路大震災1.17のつどい」の設営がなされている。その風景に重なる「震災は、人々から多くのものを奪い去った。失ったものはあまりに大きく、それを取り戻すことはできない」という言葉。いきなりこちらの胸を突く。

 1月18日からスタートした『心の傷を癒すということ』(NHK総合)は、阪神・淡路大震災で自らも被災しながら、多くの被災者たちが受けた心の傷のケアに取り組み続け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)研究の第一人者となった精神科医・安克昌さんの自伝をもとに再構成したフィクションだ。

 第1話「神戸、青春の街」では、スクラップ&ビルドの象徴たる1970〜80年代にモラトリアム期を過ごした繊細な若者が、いかにして「人間の心」に興味を惹かれていったのかが細やかに描かれた。主人公・安和隆(柄本佑)は1960年に厳格な父・哲圭(石橋凌)と教育熱心な母・美里(キムラ緑子)のもと、3人兄弟の次男として生まれる。10歳で自らが在日韓国人であることを知って以来、アイデンティティを模索し続け、どこか宙ぶらりんな空虚さを抱えて生きてきた。彼のそばにあるのは手垢がつくほどに読み込んだ精神医学の本、親友、夜の公園、ジャズ、映画、そして恋。1995年1月17日以前まで、誰もが持ち得た「普通の日々」だった。それは和隆の日常であり、被災したすべての人々にとっての日常でもある。ドラマ冒頭の文言「それを取り戻すことはできない」が、ここでずしりと響いてくる。

 不動産売買やホテル事業で財を成した実業家の父は、子供の頃から優等生で東大の原子力工学科に進んだ兄・智明(森山直太朗)のことは褒め上げて、精神科に進みたいという和隆の志望については「そんな人に言いにくい、ようわからん仕事」「心なんかどうでもええ」と罵る。当時の日本では、精神科医療はまだまだ未発達な分野で、世間の理解も乏しかった。父や兄が「確かなもの」と信じて疑わない「物質的豊かさ」と、和隆が惹かれていく「心」の世界との対比が鮮明だ。そして、やがてくる震災でその「確かなもの」が確かでなくなることを、彼らはまだ知らない。

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