明智光秀を“麒麟”に見立てる本意は?  王道に見せかけた『麒麟がくる』に仕掛けられた謎

 中には現代の高校生・サブローがタイムスリップして織田信長として活躍する『信長協奏曲』(小学館)に登場した明智光秀のようなアクロバティックなアプローチもあったが、主役というよりは悪役。もしくは徳川家康の側近だった天海和尚と光秀が同一人物だったという説があるように、歴史の影で暗躍した謎の人物という扱いになることが多かったのではないかと思う。

 そんな光秀をあえて主人公にして“麒麟”という「平穏な世に現れる霊獣」「穏やかな国にやってくる不思議な生き物」(特報動画〈第二弾〉より)に見立てるとは、どういうことなのか? 信長を殺した逆賊ではなく、乱世を終わらせたテロリストのような位置づけに読み替えるのか?

 信長、秀吉、家康といった戦国武将をサラリーマンの立身出世のロールモデルに見立てて、戦国時代の国盗り合戦を楽しむという作法は、それこそ司馬遼太郎の歴史小説から大河ドラマに至るまで定番の読み方だったもので、だからこそ高度経済成長の時代を生きた昭和のサラリーマンに愛好されていた。

 その意味でも戦後日本の就業形態と非常にリンクした物語だった。しかし平成に入り、年功序列、終身雇用といった昭和型経営が形骸化し、グローバリズムが世界を覆い、雇用が流動化し実力主義の世の中になっていくと、旧来の日本型経営の象徴だった秀吉や家康といった戦国武将の在り方が古びていく。同時に織田信長が体現していた実力があれば誰でも取り立てるが、容赦なく首を切るという合理主義的側面は、今の時代に例えるならば、ITベンチャー企業のワンマン社長のパワハラ的振る舞いに見えてしまう。

 そうなると、信長のパワハラに立ち向かった光秀の方が今の視聴者にとっては親しみやすい存在なのかもしれない。こういった歴史の読み替えは今、いたるところで始まっている。『いだてん』における落語の使い方もそうだし、『忠臣蔵』を経済という観点から再解釈した中村義洋監督の映画『決算!忠臣蔵』もそうだ。

 時代劇の話題になると「昔の価値観が現代人には通じなくなったので寂れた」という話になりがちだが、落語や講談といった古典の強さは、長い年月を経て残った物語の骨格にあり、中に込められる思想は、いくらでも入れ替え可能なものだ。だから新しい価値観さえ持ち込めば何度でも蘇る。

 今回の『麒麟がくる』も光秀を主人公にすることで形骸化した戦国絵巻を現代的な物語に読み替えようという試みなのかもしれない。長谷川博己という一癖も二癖もある俳優が演じることも含め、一見王道に見えるが一筋縄ではいかない怪作となる可能性は、ゼロではないだろう。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■放送情報
大河ドラマ『麒麟がくる』
NHK総合にて、2020年1月19日(日)より放送予定
※初回75分放送
主演:長谷川博己
作:池端俊策
語り:市川海老蔵
音楽:ジョン・グラム
制作統括:落合将、藤並英樹
プロデューサー:中野亮平
演出:大原拓、一色隆司、佐々木善春、深川貴志
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/kirin/
公式Twitter:@nhk_kirin

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