『ジョーカー』と『テッド・バンディ』が共有するテーマとは 米史上最大の悪は私たちのすぐそばに

 韓国の実際のシリアルキラーの犯罪を基に撮られた映画『殺人の追憶』(2003年)に、こんなシーンがある。警察署で刑事たちが雑談していると、一人の刑事が、署にやってきていた二人の男を指差して言う。「あの片方が強姦容疑で捕まった犯人らしい。そしてもう一人が、それを警察に突き出した市民だ。さて、顔を見てどっちがどっちか分かるか?」真実を見抜く自信があると豪語する、もう一人の刑事は、その二人の顔を見ることで、どちらが犯罪者を見分けようとするが、これが異様に難しいのである。

 多くの映画やドラマでは、往々にして犯罪者は犯罪者のように見える顔をしているし、そうでないとしても粗暴な様子を見せたり、感情の乏しい表情をしたり、不気味に見える演技をすることがある。そして、犯罪者を追い詰める側は、人気俳優が正義感に燃えた姿で、人情味たっぷりに演じる場合が少なくない。だが、そんな分かりやすい法則が、現実にそのまま適用されるわけではないはずだ。なぜなら、現実の犯罪者は、可能な限り犯罪者に見えないように工夫するはずだからだ。

 容姿端麗な人物が、恋人や子どもに愛を注いでいる姿を見て、誰が連続殺人犯だと思うだろうか。そして、このような先入観が、われわれの脳に作用し、戸惑わせることになる。本作の監督であるジョー・バリンジャーは、Netflixオリジナル作品『殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合』でも監督を務めていたが、この作品で見ることのできる実際のバンディの姿や振る舞い、話し方は、たしかに魅力的で堂々とし、何より表情豊かなので、彼の言うことをそのまま信じてしまいそうになるのである。

 バンディを演じるザック・エフロンは、『ハイスクールミュージカル』(2006年)や『ヘアスプレー』(2007年)などのミュージカル作品でブレイクし、当初は爽やかなアイドル的スター俳優として、女性を中心に人気を集めてきた。近年も『グレイテスト・ショーマン』(2017年)で重要な役を務め、人気の健在ぶりを見せつけている。そんな、殺人鬼とは真逆のイメージが、まさに本作のバンディ像に重なっているといえよう。

 さて、ヒーロー映画として異例ながら、ヴェネツィア国際映画祭最高賞を獲得し、日本を含め世界で大ヒットを成し遂げている、アメコミヒーローの悪役誕生を描く『ジョーカー』(2019年)も、ある意味でテーマを共有する作品だといえる。

 そこでは、やがてジョーカーとなる主人公アーサーは、厳しく酷薄な街ゴッサムシティで、母親の介護をしながらつつましい生活を続けていると描かれるように、もともとは善良な人間だったという、新しい解釈が行われている。そんな共感できる部分が多々ある人物が、次第に悪に染まっていく姿を見ることで、犯罪に走るまでの一つのパターンを観客に、心理的に経験させてしまうのである。バットマン映画に影響を受けた可能性のある過去の事件にくわえて、このような内容だからこそ、『ジョーカー』は、危険な作品だともいわれ、一時はアメリカで警察や軍までが警戒態勢をとる状況にまで発展してしまったのだ。

 アーサー同様、実際の凶悪犯罪者だといわれるバンディにも、他者への愛情や、死に対する恐怖が備わっているということを、本作は感情移入をさせながら描いていく。 ここから本能的に感じられるのは、「殺人を犯す者と、殺人を犯さない人間の内面には、本当は本質的な違いなど存在しないのではないか」という、おそろしい疑問である。犯罪者の容姿や性格には、じつは際立った共通する特徴など存在せず、われわれ一人ひとりも、自分のなかの秘められた暴力性が爆発し、「いつ何かのきっかけによって殺人者になるかも分からない」と考えた方が、事実に近いのかもしれないのだ。

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