吉高由里子の笑顔をもう一度 『わたし、定時で帰ります。』最終回目前に直面した“最大の問題”とは

 ドラマ『わたし、定時に帰ります。』(TBS系)は、新しい働き方を勝ち取るための「戦う」ドラマだ。吉高由里子演じる時代のニューヒロイン・東山結衣は、「わたし、定時で帰ります。」という、本来なら当然のことであるはずなのになぜか勇気を強いられる言葉をモットーに、会社や時にプライベートで起こる様々な問題と向き合い続けてきた。

 加重労働問題、育児問題、サービス残業問題、パワハラ・セクハラ問題等、ひとつひとつの問題の内に潜む個人の価値観や働き方の違い、そしてその価値観を形成するに至ったその人のこれまでの人生を各回の内に垣間見る面白さがそこにはあった。常に謙虚に「人を変えようとするなんて傲慢」という自覚を持ちながらも、誰かが困っていたら全力で力を貸し、自分の仕事は効率よくこなし、定時で帰ってビールを飲むことが何よりの幸せである結衣。その姿は、現代の働く女性たちの共感と憧れを一挙に背負う存在であると言えるだろう。

 だが、1話完結型で問題が解決していく単純明快な物語構造と思いきや、最終回を前に、事態は大きく様変わりしてしまった。9話で見せられたのは、「わたし、定時で帰ります。」というタイトルが示し出される直前に「チームのピンチを乗り切るまでは、私も残業します」と宣言する結衣の姿である。なぜ、こうなってしまったのか。

 終盤までは、このドラマはとてもわかりやすい構造のドラマだった。1つは、ほぼ1話完結で登場人物それぞれの問題が解決していくことにある。これは1月クールで遊川和彦が手がけた『ハケン占い師アタル』(テレビ朝日系)とも共通するものがあるが、1話ずつ、働く人々1人1人の問題を解決し、それによって個人が変わることで、会社という環境自体が好転し、回を重ねるごとにいいチームができあがっていく。

 もう1つは、「会社員は会社に身を捧げる。それが日本のサラリーマン」と結衣の父親(小林隆)が語るところの、いわゆる「お父さん世代の美徳」を否定し、「新しい働き方」、つまりは本来そうあるべきであるホワイトな働き方を呈示することである。その否定される側である父親世代がいささか可哀想にも思えてくるほどだ。『家売るオンナの逆襲』(日本テレビ系)の布施さん(梶原善)がそのまま移行したかのように、かつての会社事情・家庭事情を語る梶原善と酒井敏也。働きすぎて家に帰らないために「遺影」にされた結衣の父親は、事あるごとにそのことを責められる。

 そんな「お父さん世代の美徳」を受け継いだ、ワーカーホリック体質の仕事人間が、完璧な上司であり結衣の元彼・種田(向井理)である。結衣は、父親と同じ働き方をする彼ではなく、プライベートを優先し、家事も得意な「現代における理想の夫・父親像」になっていくだろう諏訪(中丸雄一)と結婚することを選んだ。

 だが9話に差し掛かって事態は思わぬ方向に動き出す。実は結衣と同じく「人をよく見る」という能力に長けていた、部長・福永(ユースケ・サンタマリア)が彼女とは正反対の動機で人を動かし始めたからだ。ドラマにおいて結衣が担っていたポジションを福永が突然横取りし、正反対の方向に舵を切り出したかのように。結衣は人のために環境や現状を動かそうとするが、厄介なことに福永は、会社のために人を利用することに何の違和感も持たない。

 福永が個別に面談した三谷(シシド・カフカ)、来栖(泉澤祐希)、吾妻(柄本時生)の3人はそれぞれ1話分を設けて働き方問題を解決したはずだった。だが、彼らが各々に言っていた「私のようなもの」「僕なんか」という台詞が示す彼らの自己肯定感の低さが伏線となり、そこに付け入られた彼らは簡単に洗脳されてしまう。

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