ナカハラの佇まいに共感の嵐 『愛がなんだ』テルコの“盲信”を際立たせた若葉竜也の名演
河口湖にみんなで旅行に出かけたシーンで、ナカハラは葉子との関係をすみれに詰められる。そこで怒りをグッと抑えながら、お酒を飲み、その場をしのぐ様子の緊張感は若葉がリードした芝居だろう。本当は心底怒っているのだ、という表情の微妙な変化と、小道具であるお酒を使った巧妙な芝居は、実にナカハラを象徴させる気弱で神経質なはっきりと表していた。ナカハラはこのすみれとのやりとりをきっかけに、決心する。
ナカハラは、葉子のことを「寂しくならない側の人」とテルコに話す。葉子が寂しくならない人だからナカハラは惹かれるし、それゆえに葉子はナカハラを必要としない。それを聞いたテルコは、後々葉子に真相を確かめに行くのだが、葉子はそれを聞いて「私をなんだと思っているの」と怒りを露わにするのであった。この作品では、テルコにしか見えないマモちゃんや、ナカハラにしか見えない葉子が存在する。葉子の怒りは、自分の理想を押し付け、愛情で包み込んだ信仰対象が、無意識に感じていた息苦しさを見事に表していた。
葉子が悪く言われてしまうくらいなら、自分は身を引くと話したナカハラ。結局はテルコの言う通りに、手に入らないから諦めたのか、本当に葉子を思って身を引いたのかは定かではない。しかし前を向いて建設的な時を歩むためには、必要な決断であった。ナカハラの英断に、過去に自分が決別してきた恋愛を重ねた鑑賞者も多かったのではないだろうか。
ナカハラの弱さは、一般的で親しみやすい。報われない恋というのは、普通はいつか心が折れる。テルコのように盲信的に愛を突き詰めていくパワーなど到底湧き上がらない。ナカハラのスタンスは誰よりも鑑賞者に近く、そしてテルコのパワーに当てられてしまう様子を投影した存在なのだ。この作品に若葉が演じるナカハラがいたから、テルコの凄まじい愛のパワーと、狂った恋の渦が顕著に浮かび上がる。渦中でいながら、客観的な、重要な役であった。
『愛がなんだ』は誰にとっても「問いかけ」を感じてしまう作品だろう。共感を楽しみ、自分と違う部分を楽しみ、たまに自分に問いかけてしまう。愛することや、好きになることの正解を、そんなものは存在しないのに追い求めようとしてしまう。この作品を観ている間は、そんな束の間の追いかけっこが許されるのだ。答えなど出なくても、大切にしたいと思う時間と出会える作品だ。
■Nana Numoto
日本大学芸術学部映画学科卒。映画・ファッション系ライター。映像の美術等も手がける。批評同人誌『ヱクリヲ』などに寄稿。Twitter
■公開情報
『愛がなんだ』
テアトル新宿ほかにて公開中
原作:角田光代『愛がなんだ』(角川文庫刊)
監督:今泉力哉
脚本:澤井香織、今泉力哉
出演:岸井ゆきの、成田凌、深川麻衣、若葉竜也、片岡礼子、筒井真理子、江口のりこ
配給:エレファントハウス
(c)2019 映画「愛がなんだ」製作委員会
公式サイト:http://aigananda.com/