『ある少年の告白』が描く深刻な問題と示される希望 ジョエル・エドガートン監督の作風から探る

ルーカス・ヘッジズの演じる少年の苦悩

 人間としての誇りを傷つけられていく参加者たちは、互いに長く話し合うような接触を禁じられているため、相談することもままならない。ジャレッドは面会に来た母親にも真実を言うことができず、一人で悩み続ける。孤独な環境で次第に追いつめられていくルーカス・ヘッジズの演技が見事だ。

 本作で初主演を果たしたヘッジズは、ラッセ・ハルストレム監督の『ギルバート・グレイプ』(1996年)の原作者を父に持ち、ウェス・アンダーソン監督の『ムーンライズ・キングダム』(2012年)、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)に出演、そして『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016年)によって、20歳にしてアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた若手俳優である。

 過酷な状況のなかでも、「自分とは何なのか」ということを悩み続け、前に進んでいこうと現実に抵抗する主人公の物語は、文学的なテーマに通じている。『エデンの東』(1955年)のジェームズ・ディーンや、『暴力脱獄』(1967年)のポール・ニューマンのように、ジャレッドを演じるルーカス・ヘッジズは、本作によって、そんな系譜に連なるアイコン的な存在になったといえよう。

社会の縮図としての家族の物語

 本作が描くのは、矯正施設の過酷な環境だけではない。施設の外の社会にも、偏見や暴力が渦巻いている。そして、施設に入れた父親や、それを黙認することで加担してしまった母親とジャレッドの関係にも焦点があてられる。本作の家庭のように、子どもに深い愛情を感じているような両親がいたとしても、このような悲劇は起こる。それは、一部の家庭が考える“幸せ”のかたちが、限定された不自由なものでしかないからである。

 ここで気づかされるのは、このような矯正施設が存在する本当の理由とは、一部のアメリカの家庭が、マイノリティとなった家族のありのままの人間性を認めようとしなかったということだ。演技力のあるラッセル・クロウとニコール・キッドマンが、ジャレッドの両親を演じているのは、この問題において家族の関係こそが最も重要だということを示しているように思える。

 そして、マイノリティが迫害を受け、女性が意見を言えず、父親が強権的に振舞うという、ここでの家族の構図は、ある意味でアメリカ社会全体の縮図であるともいえよう。社会には様々な種類のマイノリティが存在し、全体を構成する一部となっている。それを認めない人々がいることで悲劇が生まれ、社会全体もそのバランスを欠き、悪化していく。それを変えるためには、社会を構成する様々な人々が、それぞれに多様性を認めていくしかない。多かれ少なかれ、誰にでも偏見があり、それが誰かを傷つけたり、自分自身のことを認められなくなる場合もある。それを克服していくためには、できるだけ多くの立場に立った人たちの声を聞いて、自分の考え方を日々更新していくしかない。

 ジョエル・エドガートンは、その光と闇を持つ作家性によって、迫害されはじき出される者の視点から、アメリカのみならず世界中に共通する、この重要なテーマをしっかりと描ききっている。そして、弱者が虐げられる現実が映し出された本作をきっかけに、観客にも世界の見方を日々変えてくれることを期待しているように思えるのだ。

『ある少年の告白』90秒予告

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ある少年の告白』
4月19日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
出演:ルーカス・ヘッジズ、ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ、ジョエル・エドガートン、グザヴィエ・ドラン、トロイ・シヴァン
監督・脚本:ジョエル・エドガートン
原作:ガラルド・コンリー
配給:ビターズ・エンド/パルコ
ユニバーサル作品
2018年/アメリカ/115分/原題:Boy Erased
(c)2018 UNERASED FILM, INC.
公式サイト:www.boy-erased.jp

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