菊地成孔の『グリーンブック』評:これを黒人映画だと思ったらそりゃスパイクも途中退場するよ。<クリスマスの奇跡映画>の佳作ぐらいでいいんじゃない?

以下引用(原稿に加筆修正)

 本稿が出る頃には雌雄は決しているだろうが、少なくとも今年のAAA(米国アカデミー賞)最優秀作品賞レースに於いて、本作『ブラック・クランズマン』と、狂ったように面白いが、タイトルも内容も基本的に狂っているとしか言いようがない、“アメコミ映画初のノミニー”『ブラックパンサー』が激突していること、そして作品賞のノミネートこそ逃したが(AAAのアソシエーションに強く抗議したい。お前ら正気か?)バリー(俺たちに明日はなく、従って『ラ・ラ・ランド』に作品賞はない)・ジェンキンスの『ムーンライト』に次ぐ、そして『ムーンライト』よりも遥かに高い一般性と完成度に満ちた傑作『ビール・ストリートの恋人たち』が、脚色賞、助演女優賞、作曲賞のノミニーとして脇から迎撃するという構図を見せる2019年SSのブラック・ムーヴィー状況は非常に豊かで喜ばしい。

 『ブラック・クランズマン』は一見ブラックスプロイテーション映画のパロディ・コメディの態だが、その実ガッチガチの怒れる社会派であり、「骨太で滑稽で怒っている」オールドスクーラーであるスパイクが、自分の生徒であり(スパイクの先生業は伊達でもバイトでもなく、ニューヨーク、コロンビア、ハーバードで常勤。映画についての教鞭を執っている)、ニュースクーラーとして次代を担う、ジェンキンス、(ジョーダン・)ピール等の台頭と、彼らの師へのリスペクト&プッシュ、そして「Twitterをやってる二人目の大統領(オバマは「やってない」に等しく、実際には「Twitterを一般人の様に活用した最初の大統領」)」であるトランプに対する怒りから突如迷走状態を抜け、いきなりギンギンに勃ちまくった快作であり、一方『ブラックパンサー』は、マーベルのラインナップの中でも飛び抜けて変わった作品で「そら恐ろしいような未来型のブラックスプロイテーション映画であり、ブランニュースクールである」と評価できる。

 AAAもBETA(Black Entertainment Television Awards) も、公民権運動ジャスト50周年である2014年にはブラック・ムーヴィーは寧ろ鋭意製作中で、明けて15年(因みに、本作でも一部クリアランスされて引用される、KKKルネッサンスを推進した『國民の創生』からジャスト100周年!)に『グローリー/明日への行進』が独り暴れしつつも今ひとつ(作品賞受賞は、協会員によるアンチ・トランプの側面もあったかなかったか、メキシコ系アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バードマン』)、空けて16年はブラック・ムーヴィーなく、白人によるカソリック教会告発映画『スポットライト』が作品賞受賞、更に空けて17年はジェンキンスと並ぶブラックムーヴィーのニュースクーラー、ピールによる佳作『ゲット・アウト』を、<オタクの市民権>『シェイプ・オブ・ウォーター』に制され、記憶に新しい18年は、前述の「『ムーンライト』が壇上で『ラ・ラ・ランド』をストライクアウト」事件があり、今年になだれ込んだ。スパイクから続く(と、筆者が仮説&命名する)「南北戦争は終わっちゃいないぜ」映画の、新旧入り乱れた真の豊穣までは、公民権法制定50周年から、更に4年の熟成を必要とした。

 ニュースクーラーがオールドスクーラーに対し、審美的でクールで知的でソフトタッチになり、場合によっては加重差別としてのゲイ感覚を持ち込むことは、黒人音楽も黒人映画も変わらない。本稿は『ブラック・クランズマン』の批評が目的なので詳述は避けるが、事をバリー・ジェンキンスだけに絞っても、前述の要素を総て持っており、ファンクやヒップホップではない、フランス近代の様な音楽と、ブラックスキンを光学的な新しさによって照らし直し、ゲイ感覚満載のシルキーでカラフルなソフトタッチと、まるでフランス映画の様な美しく可愛い衣装(『ビール・ストリートの恋人たち』の「恋人たち」は、あきらかに『ロシュフォールの恋人たち』に起因しており、作品自体の骨組みと、画面の質感は『シェルブールの雨傘』に近似している)、しかし内包されている怒りは震えるほど。うっかり「マイルスの音楽みたいだな」と口走ろうとすると、実際に「カインド・オブ・ブルー」が、思ってもいない、審美的なセンスで引用されるという有様。

 こうした、伝統を踏まえたニュースクーラー、前述の“マーベルの鬼っ子”である『ブラックパンサー(「連合赤軍」って名前の正義のヒーロー集団が出て来るエンターテインメント大作みたいなモンだからして)』のような遺伝子操作的作品に対し、堂々とスパイクが立ち上がった。ストーリーは検索すれば嫌っちゅうほど読める。デンゼル・ワシントンの倅は、真剣な顔して走ってるだけで笑える、最強のブラックスプロイテーション俳優だし、バディ役のアダム・ドライバーも手堅く達者で、前述『國民の創生』だけでなく、『風と共に去りぬ』、極端にエグイ、デモ行進中の、自家用車による轢殺事故を撮影した素人スマホ映像や、KKKのウィザードがトランプ支持を明言するニュース映像まで豊富にコラージュした、オールドスクーラーのお手本みたいな映画だ。何せ、この、実話を基にした脚本の映画化権は、他ならぬピールが持っていて、スパイク向きだと監督を依頼したのだから。

 唯一の悪点は、テレンス・ブランチャードのOSTが、ブラックスプロイテーション映画のパロディなのか、社会派のシリアスでリアルな感触なのか腰が引けてる所、せっかくのソウル/ディスコ/ファンク・クラシックスの、出のタイミングがグルーヴ悪く、腰が動いたり首を突き出したりが気持ちよく出来ない点で、これ実は『ドゥ・ザ・ライト・シング』から始まっている「スパイクは実は真面目なシネフィルで、音楽的にはノリ悪い」という、マルコム Xにも似た(マルコムは青年期までダンスが踊れなかった。踊れる様に成って、あのマルコム Xになった)属性が、作品の性質上、目立ってしまってる所だけ。良いよそれでもプロフェッサーS。『シャフト』よりも『夜の大捜査線』よりも、何しろお前がオールドスクーラーだ(引用終わり)。

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