『PSYCHO-PASS サイコパス』は現代の空気を反映 ディストピアに逆らう、熱い人間ドラマ描く
『PSYCHO-PASS サイコパス』もまた究極の管理社会を描きながらも、人間はその中でいかに生きるべきかを問う物語だ。たとえ潜在犯と認定されようとも自らの正義を信じて行動する狡噛慎也や、シビュラシステムの欺瞞的な真相を知ってもなお、社会を守るために敢えてそれに従う道を選ぶ常守朱など、システムに翻弄されながらもなお、自らの意思で道を選ぶ人々の熱い人間ドラマが本作最大の魅力である。
シリーズ最新作である『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System』3部作は、そんな人間たちのドラマに強くフォーカスした作品だ。Case.1は、常守の後輩、霜月を中心にした物語だ。血気盛んなキャラクターであった彼女が清濁併せ呑み、事件の解決を図るあたりに、本作らしさがにじむ。
Case.2は、優秀な軍人から潜在犯となってしまい、現在は公安局で執行官を務める須郷徹平の過去の物語で、軍が起こしたクーデターの真相を巡る物語だ。なぜ須郷が公安の執行官になったのかのいきさつが語られており、そこには人間としての義理と矜持がにじむ。3部作のタイトルは「システムの罪」という意味だが、まさにシステムによって罪にされ、犠牲となった人々の戦いと葛藤が描かれており、本シリーズの真骨頂とも言える密度の濃い人間ドラマが展開されている。『PSYCHO-PASS サイコパス』は大人のドラマであり、大円団のハッピーエンドはほとんど描かれない。管理社会になっても犯罪はなくならず、苦しい日常はどこまでも続くが、絶望せず前進する意思ある人間を描いている。
数値によって管理され、最大多数の最大幸福を実現した社会では、人は自らの意思を挟まずシステムに従順であった方が幸せに生きられる。しかし、本作の登場人物たちは、それでも自らの意思で選択していく。社会を維持するためにはシステムの全てを否定はできないが、システムの奴隷には決してならないという強靭な意思が、本シリーズの高い密度のドラマを生んでいる。そんな彼らの姿は、数値による支配が現実に迫ってきている現代社会を振り返ると、一際頼もしく眩しく見える。
ディックは、「SFとはつねに抗議のための媒体だ(サイエンス・フィクションにおけるペシミズムより)」と語っている。数値の支配が現実になろうとしている今、それでも人間が自らの意思で生きる姿を描くことそのものが、管理社会へ向かう現代社会への抗議にほかならないと筆者は思う。『PSYCHO-PASS サイコパス』は、単なるアイデアやギミックの拝借にとどまらず、ディックのSFの定義を存分に理解した作品だと言える。3月8日より始まるCase.3も楽しみだ。
■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中
■公開情報
『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System』
2019年1月25日(金)より連続公開
キャスト:野島健児、佐倉綾音、東地宏樹、有本欽隆、関智一
SS ストーリー原案・監督:塩谷直義
脚本:吉上亮(Case.1)、深見真(Case.2,3)
キャラクターデザイン:恩田尚之、浅野恭司、阿部恒、青木康浩
音楽:菅野祐悟 音響監督:岩浪美和
主題歌: abnormalize/凛として時雨ーRemixed by 中野雅之(BOOM
BOOM SATELLITES)
アニメーション制作:Production I.G
制作:サイコパス製作委員会
配給:東宝映像事業部
公式 HP:psycho-pass.com/
(c)サイコパス製作委員会