『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』が浮き彫りにした、“続編映画”の在り方
アメリカ政府とメキシコの麻薬カルテルの凄惨な戦いを描いた、エミリー・ブラント主演、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』は、両国にまたがる酷薄さに満ちた救いのない世界を徹底的に表現することによって、深刻な社会的テーマと娯楽性の両方を獲得した傑作だった。
敵対する人間を肉塊にして往来に吊り下げたり、兵士と同等といえる戦闘用の装備で敵を急襲するなど、凶悪化し武装化を続けていくメキシコ麻薬カルテルの残虐さや恐ろしさを『ボーダーライン』は描き出し、さらにそれすら凌駕するアメリカ政府の悪辣さをも同時に描く。そこでは、戦いのなかでほとんど「戦地」となってしまったメキシコの危険地帯に生まれる子どもたちの悲劇までもが映し出されていた。
『メッセージ』(2016年)、『ブレードランナー 2049』(2017年)と、その後もさらなるメジャー作品を撮り活躍を続けているドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、撮影の名手として知られるロジャー・ディーキンス、最近惜しくもこの世を去った、数々の音楽ジャンルを横断しながら未知の領域を開拓していた音楽家ヨハン・ヨハンソン、監督作を撮りさらに注目を浴びている脚本家テイラー・シェリダンらによって、未知の世界の不穏さや不気味さ、古代ローマと麻薬カルテルが支配するメキシコの都市とのつながりという歴史的な見方や南部ゴシック風の文学性を獲得することで、ここでのメキシコ麻薬戦争は暴力的イメージをそのままに、意外なほど知的な広がりを持った作品となったのだ。(参考:「なぜ彼らは残虐行為ができるのか? メキシコ犯罪組織との戦い描く『ボーダーライン』が問うもの」)
その続編となる『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』では、そんな前作を代表する四つの才能から、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ロジャー・ディーキンスらが『ブレードランナー 2049』制作のため、企画から外れてしまっている。この状況下で、第2作はどのような仕上がりになったのだろうか。ここでは、本作『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』の試みを検証し、第1作と比較することで評価していきたい。
前作で脚本家テイラー・シェリダンは、画期的な仕掛けを施していた。アメリカ政府とメキシコ麻薬組織の両陣営が倫理を完全に失って激化していく争いのなかで、唯一の良心といえる、エミリー・ブラント演じるFBI捜査官の主人公ケイトがメインストーリーから途中で脱落し、ベニチオ・デル・トロが演じる、麻薬組織に家族を殺された男アレハンドロが「主役」を引き継いでしまうのだ。この奇妙な展開は観客を驚かせたこと以外に、麻薬戦争にはすでにヒューマニズムが通用しないこと、アメリカが良心を失ってしまったことを象徴的に、かつアイロニカルに表していたといえる。