キャリー・ジョージ・フクナガは『007』の監督にふさわしいのか? その作家性と新作の行方を占う

『ビースト・オブ・ノー・ネーション』

 舞台をアフリカに移した、イドリス・エルバが出演する『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年)も、深刻な社会問題をリアルに描くフィクションである。西アフリカのどこかに生きる、家族から愛され創造力豊かに育ってきた一人の少年が、内戦によって家族を失い、生きるために少年兵として殺人の訓練を受ける内容は、『闇の列車、光の旅』に続き、集団の中で暴力とともに生きざるを得ない主人公の境遇を通し、劣悪な環境に置かれ生き方を選ぶことができず可能性が狭められてしまう若者たちの、世界でいまも起こり続けている悲劇を語っていく。

 これらの作品は、ある意味一つのジャンルの中に収まるものであるが、フクナガ監督は、他にも様々なタイプの作品に手を出している。『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』(2014年)は、「TVドラマのアカデミー賞」と呼ばれるエミー賞において、監督賞を受賞した出世作だ。マシュー・マコノヒー、ウディ・ハレルソン、2人の名優が演じる性格の異なる刑事が、異常かつ難解な事件を追い続けるという内容だが、マシュー・マコノヒー演じる刑事が、あまりにもエキセントリックなのが特徴で、犯人と刑事の狂気と狂気がぶつかる構図は、作品のはじめからただの「刑事ドラマ」ではないと思わせる。TVドラマとは思えないような、キャリアの中でも最高の演技だと感じさせる2人の主演俳優の重厚な演技が圧巻だが、それを引き出したのは、やはりドキュメンタリー風の作品で培ったフクナガ監督のリアルな演出手法であろう。

Netflixオリジナルシリーズ『マニアック』

 エマ・ストーン、ジョナ・ヒルが主演したTVドラマ『マニアック』も、ジャンルの枠をはみ出してくる、難解な内容を扱った実験的作品だった。過去の精神的外傷を治療するという薬の治験に参加する男女の物語で、舞台はめまぐるしく様々な精神世界へと転換していく。複雑さとコメディの要素が絡み合うところが、これを楽しめる視聴者を限定してしまうきらいがあるが、バーチャル・リアリティやフェイクニュースがあふれる、現実感が曖昧になってゆく世の中で、何が人間の精神をつなぎ止めるのかが描かれる意欲的な作品だったといえよう。

 さて、これらの作品を撮ってきたフクナガ監督の『007』は、どうなるのだろう。『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年)など、人間くささや成長途中の危うさを見せるジェームズ・ボンド像によって、古い印象を一新させたダニエル・クレイグ主演の『007』シリーズは、サム・メンデス監督による『007 スカイフォール』ではさらに方向が転換し、アーティスティックで内省的な雰囲気と、英国の伝統に回帰する保守的価値観の導入により、さらに新たなファンを増やしつつイギリス国内で大ヒットを記録した。その重々しい内容は、シリーズのお気楽な娯楽性を愛した往年のファンからは批判を浴びることも少なくない。

 難解で作家的、そしてシリアスな傾向を見せるシリーズは、フクナガ監督を選択したことから、大筋ではその雰囲気を継承するものになると思える。さらにメンデス監督同様、フクナガ監督は作品の有りようを大枠から捉え直すことのできるヴィジョンを持っているので、作品の文学性や格調が失われることもないだろう。アクションに関しては、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』の銃撃シーンなどから予想すると、絵画的な感覚にこだわったヴィジュアルから脱却し、マーク・フォースター監督の『007 慰めの報酬』のときに最も高まったリアル路線へと一部回帰するのではないかと思われる。

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