『クレイジー・リッチ!』が米映画史に起こした革新 “アジア”を巡る2人の女性の物語を読み解く

アジア系アメリカ人とアジア系アジア人の壁

 『クレイジー・リッチ!』で中心となるテーマは2つ。レイチェルとニックの恋路、そしてその障壁となるレイチェルとエレノアの衝突である。ニックの母であるエレノアは、初めからレイチェルを気に入っていない。理由はレイチェルの出自だけではない。中国系シンガポール人のエレノアは、その人生を子供と家庭に捧げてきた。彼女はこう語る。「ニューヨーク大学の教授であるレイチェルにこの生き方はできない。アメリカ人からしたら私の人生は『古い』でしょう」と。

 レイチェルとエレノアが表す作品テーマは、この発言から見てとれる。つまり、「アジア系アメリカ人とアジア系アジア人の壁」。中国系移民2世のレイチェルは、シンガポールでアイデンティティの危機に直面する。

 アメリカの移民2世だからといってレイチェルを否定するエレノアの態度は偏見だが、確かに、多くの女性ニューヨーカーからしたら彼女の人生は「古い」とされそうだ。言葉を変えれば、エレノアの人生は、アジアに根づくとされる「家父長制」、そして「女性の自己犠牲」の結晶とも括ることができる。ここ数十年、ハリウッドの恋愛映画では「家父長制に縛られない女性」が肯定されがちだ。Box Office史上もっとも興行収入が高いロマンティッ ク・コメディは『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』だが、この2002年の映画でも「“女は人生を家庭に捧げるべき”と考える父親に抗う女性の挑戦」が美とされる。大げさな言い方をすれば、エレノアの人生と誇りは、21世紀のアメリカ映画が「古い」と否定してきたものなのかもしれない。

 中国系マレーシア人であるミシェル・ヨーは、本作の契約の際、エレノアを「悪役」として描くなら出演しないと宣言した。当時ヨーがジョン・M・チュウ監督に語った言葉がIndieWireで紹介されている。

「私はエレノアを一人の人間として演じる必要がある。そして、できる限り中国系の文化を守る。あなた(監督)の役目はアメリカ側のカルチャーを守ること。判断は観客に委ねましょう」


 『クレイジー・リッチ!』の重要な点は、伝統的家族観を誇る中国系女性を単純な悪役、または紋切り型な被害者として描かなかったことだ。本作のアジア系女性表現が評価された一因はここにある。エレノアは、弱さを持ちながらも自分の意志で決断していく女性として描かれている。ゆえに、アイデンティティを揺らされるレイチェルとのドラマが意義深いものとなっているのである。本作は2人の衝突をどう描いたのか。鑑賞の際にぜひ注目してほしいポイントだが、ひとつだけ話題となったシーンの解説をしたい。

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