清原果耶のモノローグが心に沁みる 『透明なゆりかご』が描いた産婦人科の“光と影”

 しかし、何もできないことは、何も感じないこととイコールではない。自分がもし彼女の立場だったら、どうするだろう。彼女と同じ道を選び取り、同じように感じるのだろうか。もしくは、まったく別の道を選ぶのか。その答えは、いつも曖昧なまま、見上げた空の彼方へと消えていく。けれども彼女は、どこまでも真剣に、今の自分が持つ精一杯の力で考え続けるのだ。そう、その最前線にいながら、何者でもない――その当事者でもなければ関係者でもなく、医療行為を施すこともできない彼女の存在は、ある意味、このドラマの行方を固唾を飲んで見守っている我々視聴者と同じなのだ。本作が、出産経験のある女性はもちろん、そうでない女性、さらには男性の心も強く揺り動かすのは、この「アオイ」という主人公あってこその話なのだろう。

 第2回「母性ってなに」の最後、アオイはその日一日を振り返りながら、次のように独白する。

「今でもよくわからない。私の中に何が生まれていたのか。菊田さんの中に何が生まれていたのか。あの子の中に何が生まれていたのか。その生まれた何かに突き動かされてとった行動が正しい選択だったかどうかわからない。でもそのとき感じたことに嘘はないと思う。私たちはたった一瞬でも思ったんだ。目の前の小さな命をたまらなく愛おしいって」

 さらに、第4回「産科危機」の最後では――

「命が消えるってやっぱりわからない。生まれるってこともよくわからない。命って何。ある日突然消えちゃうぐらい儚いのに、私たちの心も体も容赦なく突き動かす。命って怖い。でも、ありがとね、無事に生まれてきてくれて」

 そう、作者が高校生の頃の実体験をもとにした、沖田×華の漫画を原作とするこのドラマの見どころは、そんな「アオイ」という役どころに瑞々しい息吹を注ぎ込む、清原果耶の初々しくも繊細な演技をはじめ、若手とベテランが織りなす芝居の絶妙なアンサンブル、自然光にこだわった「光」の演出など、枚挙にいとまないのだけれど、そのなかでもとりわけ強く心に残っているのは、気がつけば毎回毎回、じっと耳を澄ませながら、その言葉を待ち続けている、エンディングのモノローグなのだった。近年は、ドラマおよび劇場版『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』など、「命の現場」にまつわる物語で、秀逸な台詞の数々を生み出している脚本家・安達奈緒子による珠玉の言葉たち。原作のエッセンスを活かしながら、ひとつひとつ丁寧に編まれていったであろうその台詞は、清原果耶の身体を通して瑞々しい輝きを放つと同時に、視聴者の心の奥底で、いつまでも響き渡るのだった。

 そんなエンディングのモノローグに注意深く耳を傾けているうちに、あることに気づいた。当初「わからない」を連呼していたアオイの心は、徐々にではあるけれど、少しずつある変化を遂げているように思えたのだ。第5回「14歳の妊娠」の最後、「この子もいつか、自分がどんなふうに生まれてきたか知るんだろう。それは、たくさんの人の思いを知るってことだ」と語ったアオイのまなざしは、それぞれの事情を抱えた妊婦たちから、徐々にその子供たち、さらには自分自身へと向けられていくのだった。

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