アニエス・ヴァルダ『顔たち、ところどころ』から読み解く、「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」の教え

 そんななか、ヴァルダらしさを感じさせるのが、閉山した炭坑に炭坑作業員用住宅の最後の住人、ジェニーヌや、スト中の湾岸労働者の3人の女性達など闘う女性達の写真だ。そこには、男女同権を主張してきたヴァルダのブレない姿勢を感じさせる。山積みされたコンテナに大きな女性湾岸労働者の写真を貼り出したヴァルダは、「あなたたちを大きな彫像みたいにして、“男の世界に乗り込んできた女たち”という風に見せたいの」と語るが、“男の世界に乗り込んできた女”とは、半世紀前に映画の世界に乗り込んだヴァルダ自身のことでもある。

 映画はロードムービー形式で進んでいくが、そこに心地良いリズムを生み出しているのがヴァルダとJRのユーモラスな掛け合いだ。撮影時、ヴァルダは87歳でJRは33歳。実に54歳もの歳の差がある男女が、一緒にはしゃいだり、時には不機嫌になったりしながら、絆を深めていく姿が微笑ましい。そして、そんなやりとりを通じて浮かび上がってくるのが“歳をとること”。JRが楽々と登れる階段もヴァルダにはひと苦労。また、ヴァルダの視力が衰えてきたことも映画のなかで触れられ、彼女の眼がどんな風に見えているのかを観客に体験させるシークエンスもある。この映画自体が、ヴァルダの今を記録したポートレートになっているのだ。

 だからこそ、この映画には市井の人々の人生同様、彼女自身の人生の断片もまた散りばめられている。2人は、かつてヴァルダが親しかった人達、ナタリー・サロート(小説家)やアンリ・カルティエ=ブレッソン(写真家)ゆかりの土地を訪れるが、50年代にギイ・ブルダン(写真家)と一緒に訪れたノルマンディーの海辺の村ではひと仕事。断崖から海岸に落ちた第二次世界大戦時の要塞の壁に、ヴァルダが54年に撮影したブルダンのポートレートを貼り付ける。若かりし頃のブルダンが巨大化して海辺に佇む奇妙な風景を見ていると、まるでヴァルダの記憶のなかに迷い込んだようだ。そして、ヴァルダの個人史をめぐる旅で重要な役割を果たしているのが、ヌーヴェル・ヴァーグの時代に刺激を与え合った旧友、ジャン=リュック・ゴダールだ。

 常にサングラスをかけ、決して人前では外さないJRの風貌はゴダールを思わせるが、JRはゴダールに興味津々。ヴァルダにゴダールについて訊ねたり、ゴダールの代表作『はなればなれに』の名シーンをマネして、2人でルーブル美術館を駆け抜けたりもする。そして、アニエスは一緒に映画を作ってくれたお礼にと、JRにゴダールの家を訪ねることを提案。ゴダールの家が2人の旅の終着点になるのだが、果たして彼らはゴダールに会うことができるのか……。映画ファンならドキドキする展開だが、そこには思いも寄らぬ(と同時にゴダールらしいともいえる)結末が待ち受けている。そして、その“アクシデント”が美しいラストへと繋がるところに、アニエスの優しさを感じた。

 ちなみに巨大ポートレートは数日で剥がれてしまい、ブルダンのポートレートにいたっては一晩で波に洗われて消えてしまったらしい。その儚さは、一期一会を繰り返すアニエスとJRの旅に通じるところがあるが、巨大ポートレートを貼り出すことで出会った人々の「顔たち」は鮮明に記憶に残る。人と人を繋ぐコミュニケーションの手段として、そして、人々の人生を照らし出す輝きとして、グラフティというアートを使ったアニエスとJR。アートは美術館で楽しむ高尚な趣味ではなく、人生を豊かにしてくれるもの。それが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」の教えなのだ。

■村尾泰郎
ロック/映画ライター。『ミュージック・マガジン』『CDジャーナル』『CULÉL』『OCEANS』などで音楽や映画について執筆中。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』『はじまりのうた』『アメリカン・ハッスル』など映画パンフレットにも寄稿。監修を手掛けた書籍に『USオルタナティヴ・ロック 1978-1999』(シンコーミュージック)などがある。

■公開情報
『顔たち、ところどころ』
公開中
監督・脚本・ナレーション:アニエス・ヴァルダ、JR
出演:アニエス・ヴァルダ、JR
音楽:マチュー・シェディッド(-M-)
字幕翻訳: 寺尾次郎
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/kaotachi/

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