欠落感漂う日本の劇場長編アニメーション界の“希望の灯” 『ペンギン・ハイウェイ』を徹底解剖

『ペンギン・ハイウェイ』の表現するテーマ

 さて、その「奥行き」とは何なのか。本作に描かれているのは、「アオヤマくん」と「お姉さん」との、ひと夏の冒険と淡い恋愛であり、やがては舞台となる住宅地や、それ以上の範囲に広がる脅威となっていく、複数の謎の解明である。最終的にはそれらが一つの事象として収斂されていく。いったい、これは何を表しているのだろうか。

 そのヒントになっているのが、作中のある描写だと思われる。アオヤマ君のクラスメイトである、ガキ大将の「スズキ君」は、アオヤマ君にいちいち突っかかり、優越感を得ようと躍起になる登場人物だ。それは彼が、同じくクラスメイトの女子「ハマモトさん」に恋愛感情を抱いていて、彼女と仲の良いアオヤマ君に対して嫉妬の感情があるからだ。男子学生にはありがちなことだが、スズキ君は、好きな女の子に対して「好きだ」と言えないために、回りくどい屈折した行動をしたり、直接関係のない努力をしてしまうのだ。そのことをハッキリとアオヤマ君に指摘されるシーンでは、それが図星なだけに激高してしまう。

 それはまた、多くの人にとっても覚えのあることであろう。例えば、「賞を穫って、自分をバカにした人物を見返したい」とか、「誰かの役に立つ仕事を成し遂げて、あの人に認められたい」など、本当に求めているものは、特定の人物の気持ちの変化だったりするのだが、人は往々にしてそことは向き合わずに、より困難な道へ向かうことで多大なカロリーを消費し、回り道をしてしまうのだ。

 それは、そのような滑稽な行動を指摘したはずのアオヤマ君自身にも跳ね返ってくる事実なのではないか。彼が夢に見る「綺麗な顔と、豊満なおっぱいを持つ、お姉さんとずっと一緒にいたい!」という想いは、社会的な常識からいえば叶えられない願望である。冒頭で彼が語る、お姉さんとの結婚への想いは、少年の一方的な幼い憧れに過ぎないのだ。そして、彼はそのことにいつかは気づかねばならない。このような「どうにもならない現実」があることを受け入れることは、成長する上で誰もが突き当たる壁なのである。それを乗り越えることができなければ、ストーカー行為やDVなど、問題行動を起こすような大人になってしまうかもしれない。

逃れられない現実との対峙

 「人間はいつか死んでしまう」という事実に直面した幼い妹が、突然に泣き出して、アオヤマ君に救いを求める場面があったように、人間はいつか、どうにもならない現実と向き合わねばならないときが来る。それをはじめて発見し理解したとき、まさに個人にとって、耐えがたい苦痛をともなった“世界が反転する”ほどの衝撃が訪れることになる。

 現実に対峙すること。そこから目を逸らさずに痛みを引き受けること。それを行うことが、人間の真の成長なのではないだろうか。明晰な頭脳を持ちプライドの高い、“面倒くさい”人物ともいえるアオヤマ君が、残酷な一つの客観的事実を受け入れるためには、このような複雑に入り組んだ物語を経験し、自らそれを解いて納得するというプロセスを必要としたのだろう。

 この物語は、それ自体が見事にこのようなテーマを浮き彫りにしている。石田監督は、こういった文学的な題材を引き受けるにあたって、「いまの自分にはまだ早いかもしれない」と感じていたという。たしかに、いままでの単純な作品とは段違いに難しい内容である。しかし、この描写困難な物語を、自分の得意な表現を抑えてまで、真摯に丁寧にアニメーション化したことで、このテーマはしっかりと伝わってくる。ここでは作品を良くする方向に、最大限に力を尽くすことが内容的な成功を引き寄せたように感じられる。『ペンギン・ハイウェイ』から感じる、ひたむきな爽やかさというのは、作り手のこのような姿勢からも来ているはずである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ペンギン・ハイウェイ』
全国公開中
出演:北香那、蒼井優、釘宮理恵、潘めぐみ、福井美樹、能登麻美子、久野美咲、西島秀俊、竹中直人
原作:森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』(角川文庫刊)
監督:石田祐康
キャラクターデザイン:新井陽次郎
脚本:上田誠(ヨーロッパ企画)
音楽:阿部海太郎
主題歌:「Good Night」宇多田ヒカル(EPICレコードジャパン)
配給:東宝映像事業部
制作:スタジオコロリド
(c)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
公式サイト:penguin-highway.com

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