欠落感漂う日本の劇場長編アニメーション界の“希望の灯” 『ペンギン・ハイウェイ』を徹底解剖

新境地を作り上げたクリエイターたち

 しかし、実際に作品を観ると、暗い森の描き方などに代表されるように、たしかにそこにはスタジオジブリのフレーバーが随所に漂いつつも、本作においてはそれがいつもより抑えられ、かなりの部分で払拭されているように感じられる。スタジオポノックの長編第1作『メアリと魔女の花』が、あまりにジブリの作風をそのまま押し出していたことを考えると、勝負作でこの試みを行うことは、石田監督としても、スタジオコロリドとしても、一つの挑戦であり、また独自の色を模索する上で必須の行為であるように思われる。

 さて、この非・ジブリなテイストはどこからくるのだろうか。一つは、本作でキャラクターデザインを担当した、ジブリ出身の新井陽次郎(短編『台風のノルダ』監督)が、おそらく意識したうえで、現在のマンガ作品のトレンドなども取り込みつつ、やわらかで繊細な絵柄から、よりシャープで現代的な印象の絵柄に変更したことが大きいだろう。

 もう一つは、以前もスタジオコロリド作品に協力したことがある、アニメ美術制作会社「株式会社 bamboo」のスタッフによる背景美術だ。bambooは、『攻殻機動隊』シリーズの一部や、『009 RE:CYBORG』などの「Production I.G」作品を多く手がけており、どちらかというと直線的でクールな絵柄が持ち味だが、今回は自然や住宅地という“ファミリー的”ともいえる要素を描きながらも、そのシャープさを活かしていると感じられる。

 さらに、アニメ『四畳半神話大系』(2010年)、『夜は短し歩けよ乙女』(2017年)の、森見登美彦と上田誠による原作・脚本コンビによる、日常の中にSF世界が侵食してくる物語の内容も、ある種のハードな質感を含んでおり、それら要素が、作品に気持ちの良いエッヂを与えているように思われる。野暮ったい印象のあった『陽なたのアオシグレ』と比べると、複数の意味において飛躍的に洗練されたものになっているといえる。

ユーモラスな宇宙への飛躍

 興味深いのは、主人公となる勉強・実験好きの小学生男子「アオヤマ君」が、性に目覚め始め、歯科医院に務める奔放な性格の「お姉さん」のおっぱいが、終始気になってしょうがないという、ファミリー向け映画としては少し際どさを感じる部分だ。アオヤマ君は、おっぱいのことを考えると精神が落ち着くので、日に30分くらいはそのことについて考えるようにしていると語り、親友をドン引きさせる。彼は自分の身に芽生えた性的な衝動をも、客観的な事象として捉えようとしているが、小学生としてはきわめて明晰な頭脳を持ちながら、知識の不足によって少々個性的な理解をしているところがユーモラスだ。

 お姉さんの無防備な寝顔は、非常にフェティッシュな作画・演出によって描かれており、それをじっと眺めながら、なぜお姉さんの顔や身体は自分を幸せな気持ちにさせるのかということについて、真剣に思考を巡らせるアオヤマ君の探求は、よくある日本のアニメーション独特の、ポルノ的ともいえる煽情的な表現を通過しつつも、それがただ女性キャラクターの“エッチさ”を消費するだけでなく、多くの観客に共通する普遍的な恋愛感覚を捉えているという意味で、作品のなかで描く必然性があるように思われた。

 「おっぱいから宇宙へ」という物語上の飛躍というのは、新海誠監督の『君の名は。』(2016年)にも見られた、個人的感覚と宇宙の感覚を結び付ける、一部で「セカイ系」と呼ばれる作品の特性とも重なる。これはどちらがどちらかを模倣したというよりは、同時代性によるクリエイターの世界観の共通感覚として理解され得るものであろう。

 ただ原作小説が、このようなミステリーの静的な要素をも多く含んでいるため、石田監督の得意とする、感情とスペクタクルを同期させた爆発的な表現が発揮しにくいという問題がある。そこは監督の持ち味に合わせ、原作の魅力を保ったままで、出来得る限り脚本の構成を変えるべきだったのかもしれない。とはいえ謎解きやテーマ自体は、いままでのスタジオコロリド作品の比ではない奥行きと複雑さがあるため、その意味で興味を持続させる力はあるように思える。

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