山田洋次の“総括”は正しかったのか? 『妻よ薔薇のように』から感じる日本映画史の皮肉
本作『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』は以上のような図式を措定しながら鑑賞すると、全体の見通しがよくなる。本シリーズは1作目が「熟年離婚」、2作目が「無縁社会(老人の孤独死)」、そして今回が「主婦への讃歌」というふうに、分かりやすいワンフレーズ・スローガンが掲げられ、今日的課題を松竹大船得意の「小市民喜劇」というパッケージにまとめてみせる、そんなシリーズだ。だが今日的に見えて、内実は多分にノスタルジーを含んでいる。おじいちゃん・おばあちゃん・パパ・ママ・ボクという大家族へのノスタルジーが、あらゆる今日的課題の上位構造をなしており、夏川結衣は孤独に叛乱を起こしても、結局は平田家の「ヨメ」であり、子どもの「ママ」のままである。『キネマ旬報』誌のレビュー欄で評者の千浦僚さんが書いていたことには、ほんとうに頷かざるを得ない。「ずっと夏川結衣を石井隆監督『夜がまた来る』の“名美”だとも思ってきたからこのシリーズの彼女を観ることはつらかったよ。(中略)あの“名美”の情念はどこにいった?」(2018年6月下旬号より)
とはいえこの映画が、封建的な大家族制度の温存をとなえた映画というわけではない。むしろその逆であることは、山田監督自身の発言からもあきらかである。「主婦や嫁という言葉には、とてもひっかかる。女性を付属物のように考える響きがあります。『家族はつらいよ』では3世代同居を描いていますが、それがいいとか、そうじゃなきゃいけないなんてこと、僕は考えていません。それは“親の介護は息子の嫁がする”ということにつながってしまう。(中略)結婚するとき、なんで同じ名前のまま結婚できないのか、ずいぶん不合理だなと思いました。子育てのときも迷いました。当時は保育園も少ないし、結局うやむやなまま、妻はやりたい仕事をあきらめた。僕はそのころ監督になりたてで、ものすごく忙しかったから」(引用:朝日新聞デジタル|『仕事あきらめた妻へ「悪いことした」山田洋次監督の悔恨』)
山田監督の夫人は「やりたい仕事をあきらめた」。ではいっぽう、夏川結衣はどうなってしまうのだろう? 「外へ出て働いてみたいと思うの」とこぼしたり、高校時代にやっていたフラメンコを再開することを夢見たりする彼女。映画はそんな思いを諦念で宙づりにせねばならないのだろうか。その諦念も大船調の小市民喜劇というものの在りようなのだろうか。このシリーズは「イエ」への磁力が強烈に作用しており、何かというとすでに独立した長女夫婦(中嶋朋子・林家正蔵)や次男夫婦(妻夫木聡・蒼井優)がたびたびこの実家に再集合し、大家族のフォルムを取り戻し、特上のうなぎをみなで食べてみたり、食べ損なったりする。まるでそれが本来の形であるかのように、そして在りし日の、柴又の「イエ」に去っては戻る寅さんの往復運動を模倣するかのように。彼らに与えられた逃走経路は2つしかない。キッチンと居間のあいだに設置された階段で2階へと逃げる。そして玄関からバタバタと飛び出し、駅前で酒を飲む。このたった2つの動線が反復され、また大家族のフォーメーションに元通りとなる。
造反分子たる吉田喜重は小津への愛憎を長年にわたり突きつめたし、かつての名匠・成瀬巳喜男は1934年、大船撮影所内での低評価に反発して辞め、P.C.L.(現在の東宝の前身)に移籍した。当時の大船撮影所の所長・城戸四郎が成瀬について言ったとされる「小津は2人要らない」という一言は、映画史を変えてしまった伝説的なフレーズだ。そして移籍2年目の『妻よ薔薇のやうに』をふくむ数多くの世界映画史上に冠たる名作群は、三顧の礼で迎えられたP.C.L.=東宝で誕生した。成瀬が大船を去ってから30余年後に大船の王に君臨することになる山田の最新作タイトルが、大船を飛び出した大先輩のライバル社移籍2年目の作品タイトルを借り受けるとは、なんとも歴史の皮肉を感じ取らざるを得ない。
それでもなお、このシリーズは、山田洋次による「大船調」という大ジャンルに対する総括たり得るのだと思う。ところが、大船最大の巨匠たる小津の焼き直しである『東京家族』を自分流に換骨奪胎した結果、まるで寅さんのような愉快なノスタルジーがまたまた作動してしまったのだ。こんな総括方法はあるのだろうか? 一本一本の寅さん映画をお盆と正月、年に2度ずつ楽しんできた私たち日本の映画観客は、それでも時間が止まったままあのシリーズが50作近くも数えたことについて、もうすこし批判的たるべきではないか? あのギネス級のシリーズ連投の陰で、渥美清という名優の可能性はほんとうに奪われなかったと言えるのか? そして、大島渚、吉田喜重ら映画の革命家たちが去ったのちにダークホース的に玉座に君臨した名手・山田洋次のプログラムピクチャー以外の可能性は? 余計なお世話だと本人に怒られるのは承知の上。原子爆弾への怒りを禁忌的母子相姦の潜在性で抗しようとした異様なる傑作『母と暮せば』(2015)のあとに、喜劇の茶目っ気に回帰するのは決して悪いことではない。小津だって絢爛たる大作『彼岸花』のあとに『お早よう』というじつに他愛ない喜劇を撮っている。しかし、『家族はつらいよ』が今後やるべきことは、ワンフレーズ・スローガンのもとで寅さんのように時間を止めることではない。夏川結衣に“名美”に戻れとは言わぬまでも、『東京家族』を換骨奪胎した『家族はつらいよ』を、さらにもう一度換骨奪胎し直し、現代の混迷を撃ち、私たちの怠惰を撃ってほしい。
※木下恵介の恵は正式には旧字体
■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
■公開情報
『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』
全国公開中
監督:山田洋次
脚本:山田洋次、平松恵美子
音楽:久石譲
出演:橋爪功、吉行和子、西村まさ彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優
制作・配給:松竹株式会社
(c)2018「妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII」製作委員会
公式サイト:http://kazoku-tsuraiyo.jp/