『シェイプ・オブ・ウォーター』は、なぜアカデミー賞作品賞を受賞したのか?

小野寺系の『シェイプ・オブ・ウォーター』評

 とりわけよく出来ているのは、水を使った演出である。蛇口から水を出し続け、バスルームが水に満たされながらイライザと半魚人が包容し合う幻想的なシーンは、それが常識的で保守的な観点から見て、不道徳だったり奇妙で異様だったとしても、愛に満ちた幸せなシーンなのだ。イライザが出勤する際に乗るバスの車窓に付着した雨の水滴同士がランデヴーして結びつく、きわめて個人的な視点で描かれる場面からも、そのことがひしひしと伝わってくる。

 『シェイプ・オブ・ウォーター』とは、「水の形」という意味だ。本来、水には形というものがない。水は、器の形によってどのようなものにも順応して変化することができる。それは本来、生物や人種、性別の多様的な価値観に対応することができる“普遍的な愛”の象徴となっている。“愛”は、社会の決まり事よりも根源的で柔軟な概念なのだと、本作は語っている。

 その愛は、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』や『パシフィック・リム』などの作品で、怪獣映画やロボットアニメ、クリーチャーなどへの想いを爆発させたギレルモ・デル・トロ監督の、それらへの深い愛情とも繋がっている。本作の特殊メイクによる半魚人の造形の異常なほどの見事さからも、そのことが理解できるはずだ。一部の人にとっては、怪獣や化け物が好きだという気持ちは理解できないだろうし、場合によっては気持ち悪がることもあるだろう。しかし、少なくともある種の人間にとって、そのような虚構や妄想の世界を楽しむ行為は、厳しい現実を生き抜くうえで必要なことなのだ。半魚人が映画館に逃げ込んでスクリーンを見つめるシーンは、ギレルモ・デル・トロ監督自身の姿であるだろうし、映画を含めた創作物に救われた経験のある、我々一人ひとりの姿でもある。

 本作に最も大きな影響を与えたのは、半魚人映画の代表的なタイトルである『大アマゾンの半魚人』(1954年)だと考えられる。アマゾンの奥地にやって来たグラマーな美女に目を付け、入江に引き込んで自分のものにしようとする半魚人と人間の戦いが描かれる。本作にも、半魚人が女性を水の中へ引き込む同様のシーンがあるが、その行為の意味を全く反転させているところが面白い。

 本作は、『大アマゾンの半魚人』にリスペクトを払いながらも、そこで行われる「アマゾン化け物退治」という植民地主義的ともとらえられるストーリーを、より現代的なものとして再構成している。虐げられる未知の生物を、既存の価値観の外部にある少数的存在だととらえ、個人の視点から社会の問題を見つめることで、外部的な存在を抑圧し支配しようとする社会の保守的な傲慢さを暴いている。そして、個人それぞれの多様な生き方を認めることが、人間全体の幸せにつながるということを示したのだ。

 トランプ大統領による差別的発言や政策、ハーヴェイ・ワインスタインによる性的暴行事件などが大きな問題となり、多様性が最も大きなトピックとなっているアメリカ映画界にとっても、本作の取り組みはきわめて重要なものとして映ったはずである。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『シェイプ・オブ・ウォーター』
全国公開中
監督・脚本・製作・原案:ギレルモ・デル・トロ
出演: サリー・ホーキンス、オクタヴィア・スペンサー、、マイケル・シャノン、リチャード・ジェンキンス
配給:20世紀フォックス映画
(c)2017 Twentieth Century Fox
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる