狂気に包まれた不毛な残酷さーー『機動戦士ガンダム サンダーボルト BANDIT FLOWER』の特殊性

 「音楽は空気の中に消えゆき、二度とそれを捕らえることはできない」-エリック・ドルフィー(ジャズ・ミュージシャン)-

 『機動戦士ガンダム』の諸作品のなかで、近年まれにみるインパクトのアニメシリーズが、同名の原作漫画を持つ『機動戦士ガンダム サンダーボルト』だ。このシリーズは、「初代(ファースト)」と呼ばれるTVシリーズ第一作のガンダムしか知らないような観客や、全くガンダム作品に触れたことがない大人の観客にこそ、とくに観てほしいと思える作品だ。

 本シリーズは有料配信サービスで第1シーズン(全4話)、第2シーズン(全4話)が販売されており、劇場版の第2弾である本作『機動戦士ガンダム サンダーボルト BANDIT FLOWER』は、第2シーズンの内容を再構成したものである。ここでは、第1シーズンの内容も振り返りながら、本作の特殊性や、描こうとしているものを深く考えていきたい。

 

 第1シーズンを鑑賞したときの衝撃をよく覚えている。戦場の両陣営の兵士たちがひたすら消耗的な戦闘を繰り返し、兵士たちが取り返しのつかない戦傷を負ったり、無残に死んでいくような凄惨な状況、ほとんどそれを描いていると言っても過言ではない、狂気すら感じる鋭く尖った作品だったのだ。

 たしかにガンダムシリーズは、初代を含め多くの作品で戦争のむごたらしさを描いているが、消耗品として使いつぶされる末端の兵士たちの虚無的な死を、ここまでリアリティを重視してフォーカスし続けるという姿勢というのは異端的に感じる。『戦争のはらわた』や『スターリングラード』など、リアリティを重視した残酷描写のある実写の戦争映画を彷彿とさせる本シリーズは、ガンダムという題材を、いままでのシリーズの魅力を継承するようなかたちではなく、既存の設定を新たな解釈で甦らせている。これは、原作漫画の功績が大きいといえる。

 第1シーズンの舞台は、初代『機動戦士ガンダム』で描かれた「一年戦争」末期、ジオン公国軍が守り地球連邦軍が制圧を目論む、ジオン軍の最重要拠点である宇宙要塞ア・バオア・クーへの補給路「サンダーボルト宙域」である。劣勢のジオン軍は、スペースコロニーの残骸が浮遊し、絶えず雷が発生している特殊な環境を利用しながら、「リビング・デッド師団」という、ゾンビを意味する名称のスナイパー・モビルスーツ(有人機動兵器)部隊の活躍によって、迫り来る連邦軍の部隊を迎撃していた。

 リビング・デッド師団は、戦闘で腕や脚を失い、義手や義足を装着した人々による部隊だ。彼らは、死が目の前にある最も危険な前線に置かれ、命をもって盾の役割を命じられているのである。そのなかで「撃墜王」と呼ばれ圧倒的な命中率で部隊を守っているのが、本シリーズの二人の主人公のうちの一人、ダリル・ローレンツ曹長である。彼は歩兵としての戦闘中に膝から下の部分を失っており、その後は義足で生活しながら、狙撃仕様の「ザク」シリーズに乗って日々の新たな戦闘に参加している。

 連邦軍最新鋭の機体「フルアーマー・ガンダム」を駆る、もう一人の主人公が、有力者の子息ながら好戦的で豪快な性格のイオ・フレミング少尉である。最前列で道を切り開く彼もまた、軍部によって戦意高揚の道具として利用されている。だが彼は、難攻不落のサンダーボルト宙域を飛び回りながらリビング・デッド師団を撃破していく健闘を見せる。ジオン軍のローレンツと、連邦軍のフレミング。従来のそれぞれの軍の性質とはイメージが異なる性格を与えられた彼らは、互いに絶望的な状況のなか、ライバルとしてサンダーボルト宙域で死闘を繰り広げることになる。

 二人の人間性は音楽の趣味によっても強調されている。イオ・フレミングは出撃の際に必ずフリージャズを流す。その特徴が、より自由なインプロビゼーション(即興演奏)にあるように、彼は自らを縛りつけようとする出自や現在の境遇から逃れるため、命のやり取りをする危険な戦場に身をさらす。そこで鋭敏な感覚に従いながら生き延びることでのみ解放された自由を感じることができるのだ。文頭で引用した、アドリブ演奏の名手であるエリック・ドルフィーが言うように、卓越したミュージシャンであっても、そのときの高度な即興プレイというのは二度と再現できないものである。フレミングは、その瞬間にだけ存在する甘美な刹那(いま)だけを自分の居場所ととらえ、戦場の狂気を味方にしている。

 対してダリル・ローレンツは、ポップスを愛聴しており、なかでもウェットなラブソングがお気に入りだ。過酷な戦場においてそんなローレンツを支えるのは、過去の幸せな思い出であり、未来の幸せへの期待である。フレミングからは「音楽の趣味は平凡だな」と言われてしまうが、ローレンツは彼とは逆に「いま」を犠牲にし、過去と未来への感傷によって狂気から自身を守っているといえる。

 本作『機動戦士ガンダム サンダーボルト BANDIT FLOWER』でも、そんな対称的な二人の運命を継続して追っていくことになる。その冒頭は、ジオン公国の宇宙要塞が陥落していく光景だ。ついに心臓部に連邦軍のモビルスーツが侵入し、白兵戦を展開し要塞を制圧していく。そこに美しいカタルシスなどはない。連邦軍の部隊はリスクを最小限に、淡々と数の力をもって、抵抗を見せるジオンの兵たちを殺害していくのである。ここでの戦場のリアリティの追求はとくにグロテスクだ。初代『機動戦士ガンダム』のクライマックスでも、このア・バオア・クーの戦いは描かれていたが、主人公のアムロが仲間へのつながりを感じ幸せを見出しているそのとき、おびただしい数の戦死者の遺体が宇宙空間を埋めていた。本作はそういう部分に、より積極的に目を向けてゆく。

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