『デジモン』はなぜファンの心を掴み続ける? 評論家が『デジモンアドベンチャー tri. 第5章「共生」』を語り尽くす

 まにょ「子どもの時と大人になってからの楽しみ方が違うのもまた魅力」

ーーこれもリアリティを感じる部分です。しかも、その時々の連絡手段で一番良いものを使っている。

さやわか:そうなんですよ!  テクノロジー至上主義で、「ネットがあれば、メールですぐに連絡できて、なんでもできる」みたいな話じゃないのがまた良いんです。もともとデジタルワールドが必ずしもいいものではないというか、「ネット社会の弊害」というテーマも含んでいるからかどうかはわかりませんが、ただのネット万能説で終わらない。

まにょ:私は光子郎くんが好きですね。昔観ていた時はヤマト推しだったんですけど、今年見直した時に、「カッコイイ!」と思って。子どものころは丈さんや光子郎くんみたいなインテリ勢はあまり好きじゃなかったんですけど。そういう風に、子どもの時と大人になってからの楽しみ方や受け取るものが違うのもまた魅力なのかもしれません。

さやわか:それはしっかりリアリスティックに描いてあるからでしょうね。それぞれのキャラクターがうまく作ってあって、どこか客観的な視点から書いてあるから、大人になって観た時に違う見方ができるように作られているというか。あと、『tri.』を見ていて良いなと思うシーンもいくつかあるんですけど、その中でも第1章で太一がアグモンと再会したときに「お前は小さくなったな」と言うところが良いんですよね。

ーーあれは良いシーンでした。

さやわか:『tri.』に出てくるデジモンって、観客から見て、ちょっと子どもっぽく映るように描かれているのかもしれません。『デジモンアドベンチャー』では、主人公キャラたちとパートナーは同じくらいの知能レベルに見えたんですけど、『tri.』ではデジモンの方が幼く見える。それもまた、主人公たちの時間経過を感じさせる要素だったりして。パンフレットの中でも元永慶太郎監督が「デジモンをアップにすると、子どもたちは足元しか入らない」と言っていました。つまり成長後の身長差を使って意図的に距離感を生み出しているんですよね。だからこそ、切ない話になっていくのは必然だったというか。

ーーまにょさんは『tri.』を見て、どういう感想を持ちましたか?

まにょ:私はあまり前情報なしに観たので、すごくビックリしました。以前から元永監督が手がけたアニメ『School Days』や『ヨルムンガンド』がすごく好きだったので、3章以降は「彼ならこういう展開になるよな」と納得しながら観るようになりました。

さやわか:当時、子どもだった頃に『デジモン』を観ていて、熱血アニメのイメージを持っている人たちは、『tri.』を観て「これじゃない……」って思うかもしれないですよね。でもそれってまさに「自分たちとデジモンの距離感」を味わわされるからで、成長しているから仕方ないことなんだと思います。子どもたちの声優が変わってもデジモンは変わらなかったりするのも、時を経たことによる変化を表しているのかなと。

まにょ:そうかもしれないですね。あと、デジモンって「Butter-Fly」などのテーマソングや劇伴がすごく格好いいんですけど、『tri.』では過去作の劇伴がアレンジされていて、そこもぐっときました。

ーー音楽もそうですし、絵のタッチや作画的なところでも成長が表現されているのも大きいですよね。

さやわか:そうなんですけど、なのに描かれているのは2005年くらいのお台場というのが不思議です。持っている携帯も二つ折りだし。でも、お台場があの頃に持っていた特有の空気が再現されているのがすごい。同時期の時代設定としては『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が2003年に公開されているんですが、そこではテーマパークのように盛り上がっているお台場が描かれているんですよ。だけど『デジモン』では生活空間というか、平日の郊外の静かな場所として描かれているんですよね。そこがまたリアルです。

ーー『tri.』の新キャラである望月芽心とメイクーモンの登場についてはどう思いましたか?

さやわか:「『02』のキャラクターが出てきた時の違和感」を象徴する存在だと思います。8人の子どもたちが「俺たちだけが選ばれたんだ、俺たちだけがすごいんだ!」という話だったら、次の新キャラはもう出てこないはずなんですけど、『デジモン』は子どもたちが選ばれたのはほとんど「偶然」みたいなものとして描いているからこそ、新しい人物が登場する。そこが冷静というか、シリアスな物語だなと思います。

まにょ:私も最初は正直、受け入れがたい気持ちがあったんですけど、太一たちは芽心とメイクーモンを普通に受け入れるし、今までの仲間たちと全く同じ目線で大切に接しているのを見ていくうちに、自分が情けなく思えてきました(笑)。

さやわか:しかも太一たちは、今までの自分たちのやり方で仲間として受け入れようとするのに、芽心がそれに乗ってこないのもまた興味深い。「あぁ、人間関係ってそうだよね!」と思える部分でもありました。たぶんただの熱血バトル物語なら、あっさり友情が芽生えたりするんだろうけど、すぐにはそうならない。ちなみに、まにょさんはバトルの部分、「成長」や「進化」を表現している箇所って、子どもの頃から意識していましたか。

まにょ:あまり興味が無かったかもしれないです。どちらかというと、キャラの人間性や日常パートに惹かれていました。

さやわか:僕もどちらかというと、バトルにあんまり興味がない方でした。そもそも『デジタルモンスター』自体、発売当初は『ポケットモンスター』のような集めゲーと違って、『たまごっち』に近い育成ゲームだったし、だからこそ「パートナー」という考え方や、「それぞれのパートナーとキャラクターたちがどういう関係を結ぶのか」という視点が強調された物語になったんだと思うんです。

まにょ:確かに! 私が見直していてすごく不思議に思ったのは、選ばれし子どもたちとデジモンの関係性を「仲間」と呼んでいるところです。仲間というよりも、ペットと恋人の間くらいの印象を私は持っていたんですよ。ほかのゲームやアニメで、ああいう関係性ってありましたか?

さやわか:たとえば『ペルソナ』シリーズ(ゲーム、アニメ)だと、守護霊に近い考え方になるけど、それとも違いますもんね。ペットに近いけど、会話もできて関係性も築ける。その関係が次第に遠くなっちゃったりする。たしかに「ペットと恋人の間」というのは的を得ていますね。

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