菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第14回

菊地成孔の『シグナル』評:韓国TVドラマ『シグナル』/『君の名は。』をご覧になった方々に伺いたい。ストーリー隈なく全部わかりましたか?

 アンフェアって何だ?

 筆者のアヴェレイジを申告しておこう。『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』の破綻は、破綻と思っていない。狂人(デヴィッド・リンチ)の脳内では整合性が取れている。『マトリックス』は、完全に破綻しているが、もうフェアだとは最初から思っていない。画面がクールでアメイジングなら許す。オタクのSFだし(「SFのオタクだし」ではない。転倒するだけで意味が180%変わる)。そして、ちょっと敏感になったら、あの、脚本に関しては徹底的に矛盾や破綻を排するようにチェックされたと言われる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ですら、「おお?ここ、おかしくない?」という粗探しをしてしまう。

 そして、何の因果か、脚本上の矛盾や破綻について、どうしても寛容さを持つことができないのである(詳述しているときりがないが、破綻や矛盾が前提となっているような作風ならば許す)。幼少期からずっと思ってきたことだが、昨年、久しぶりで強く思った「破綻や矛盾に寛容になれれば、どれだけ幸福だろうか?」。信ずる者は救われる、そして欺かれ<ぬ>者は 彷徨うのである。

 『君の名は。』と『シグナル』に共通しているのは、前述の通り、「ついつい、細部に粗が」といったサイズ感と消極性ではなく、「さあ、今から、硬直しきってしまった<映画の作劇術>の拡張のために、過去最大のタブーを犯してみせます。どうぞご覧ください」という攻めの姿勢で、途中までガンガン進んで行き、それがまた死ぬほど面白いという点である。

 筆者の考えでは、韓国のドラマは16話ものでも、10話で止めるのが良い(筆者は必ず最後まで観るが)。その理由の多くは「キラキラして楽しく、胸をキュンキュンさせてくれるのは大体10話まで」だからだ。大富豪の御曹司と、一般人(時に貧民)である女性との恋、という、もう何十本観たかわからないコンサバでも、歴史の画期となるかも知れない『シグナル』でも全く同じ、大韓民国エンターテインメントの体質のようなものだ。

 『シグナル』の、大体10話までの「さあ、どうなる、やっちゃいけないことばっかりやってるけど、格調は高いし(監督は、社会派の名作『ミセン-未生-』のキム・ウォンソク、脚本は『スリーデイズ~愛と正義~』のキム・ウニ。『スリーデイズ~愛と正義~』は、大統領の暗殺計画とその頓挫までの3日間を描いた、クライムサスペンスの傑作で、構築的なクライムサスペンスの優秀な書き手が多い大韓民国脚本界の中でも、コンマ1秒の無駄もなく、砂粒ひとつ漏らさぬ、鉄壁のベスト脚本である)、全員の演技は上手すぎるし、とにかく自信と完成度、何より圧倒的な面白さに満ち溢れていて、これ、ひょっとすると、ひょっとしちゃうかも」感は物凄い。絶対に破綻し、広げた風呂敷はたためないに決まっている。しかし、ひょっとしてコレ。

 古くは韓国映画では屈指の都会的センスによって、韓国産フランス映画とまで言われた『建築学概論』、近作では、韓国を代表するアナキスト、パク・ヨルの生涯を描いた『パク・ヨル(日本公開未定)』で堂々たる演技を見せたイ・ジェフン(プロファイラー)、日本でリメイクしたら真木よう子しかない、キャットフェイスで、かなりハードなアクションもこなす演技派キム・ヘス(当連載でも何回かご紹介した『10人の泥棒たち』の一人でもある)も素晴らしいが、最早、怪物的な演技力と呼ぶに吝かではない、41歳の天才チョ・ジヌンに尽きる。

 当欄でもご紹介した『最後まで行く』での、完成された狂気とカリスマによって、近寄るのも怖気づいてしまうような巨大な汚職刑事から、同じく当欄でレビューした『暗殺』での、コンサバな善人脇役(ラストの大殺戮シーンでの 死で観客の涙を絞った)、これまた当欄でレビューした『お嬢さん』での、恐らく70代設定の、とんでもない富豪にして、とんでもない糞ド変態、人を人とも思わぬエロ爺役と、「できない役はないのではないか?」と思わせるカメレオン的才能に、今回あてがわれた役柄は「ものすごい普通のルックスと普通のオーラの、あらゆる意味で超普通の、熱血刑事(ド善人)、女には不器用」という、コペルニクス的展開で、筆者は一回目から最終話まで「いやあ、チョ・ジヌンにこんな普通の役をやらせた段階でこのドラマ一本取ってるでしょ」と感服し続けていた。もう、今までの、癖の強いあの役この役はなんだったんだ。この人、今、素で出てるんじゃないの?(そんなこと絶対にないのに)

 このチョ・ ジヌンが、警察と財閥とマスコミの癒着といった、大韓民国にとって、デフォもデフォな構造的な問題に対して、義憤を抱く、刑事として活動すればするほど、義憤は募ってゆく、そして、その果てに、義憤という義憤を抱きすぎたあまり、未来と繋がるのだ。たった15年後の未来に、希望を託して。

 そして、未来(相手の現在)のプロファイラーとの交信によって、過去(自分の現在)をやり直し(プロファイラーは、プロファイリング能力と、情報検索力によって、ほとんど事件の真相に近い情報を、過去の刑事に授ける)、どんどん現在を変えて行くのである。もう、プロファイラーが大きなボートに書いた、事件の現在の状況が、もわーっと溶けて、変わってしまうのである。そして、同僚の刑事や、副主人公のキム・ヘスでさえも、否、恐らく神でさえ、この、「変更された未来」、何も気がつかず、そもそもそれが当然、という顔で出勤してくるのである。

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