藤原竜也演じる“狡猾な男”はなぜ人々を惹きつける? 『22年目の告白』声の演技に注目

 藤原竜也、伊藤英明のW主演で話題となっている映画『22年目の告白-私が犯人です-』。藤原が演じるのは狡猾で隙がなく、殺人を”作品”と称する自己顕示欲の高い男・曾根崎雅人だ。この手の役柄といえば藤原竜也という印象がある方も少なくないだろう。彼の代表作である映画『デスノート』(2006年)の夜神月や『カイジ』(2009年〜)シリーズの伊藤カイジも知的で理性的に行動する男だ。本作の曽根崎もそうだが、この役たちは皆、”絶望を味わっている”という共通点がある。こういった役どころに藤原が抜擢される理由には、彼の“独特な声色”が関係しているのではないだろうか。

 彼の声色は”低めのダミ声”と例えることができる。低い声には落ち着いた印象を与えると同時に、威圧、制圧といった意思を示す。つまり観客をリラックスさせたところにカウンターパンチを当てられるのだ。さらに印象的なダミ声でその効果は増すだろう。少なくとも筆者は実際、彼の声にそんな印象を覚えた。

 曽根崎の登場シーンは暗転した記者会見場での独白である。顔が見えないまま、手記を発表したいきさつを語る低い声は、落ち着きとともに世間を騒がせているという高揚をどこか感じさせる。声だけの演技ではあるが、曽根崎という人物がどのような人間なのかがしっかりと伝わってくるところに、役者としての地力が垣間見える。知的で狡猾、そして猟奇的な殺人犯が、前代未聞な事件を今まさに起こしているのだと。

 会見やメディアで殺人について語る曽根崎には、異様な落ち着きと自信を感じる。自分の行った殺人という作品が、遂に完成することへの満足感を感じている様子が受け取れる。一方、彼に振り回される被害者家族は対極の反応を示しており、その狂気性がより顕著に現れる場面となっている。平然とした顔で殺人について語り、サイン会を行い、被害者家族へ謝罪にいくシーンでは、さらに不気味な印象を増幅させている。

 打って変わって後半では、感情を高ぶらせ激情に駆られる曽根崎の姿が目立つ。この演技で冷徹なキャラクターに人間味が帯び、一気に観客を惹き付ける。同じ出演者である伊藤英明や仲村トオルと比べ、よく通る彼の声は重厚で劇場全体を刺々しく包んでいく。痛々しい緊迫したシーンでこそ、彼の演技が映える理由はここにあるのだろう。

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