荻野洋一の『恋妻家宮本』評:これが観客の求めるリマリッジ・コメディなのだろうか

 きっとこれでいいのだろう。作り手の目論み通り、日本人の人生とは、凝りに凝ったレシピを提供するフレンチレストランでも、食通をうならすネタを隠し持つ寿司屋でも、酔っぱらいどもが怪気炎を上げる大東京のディープな飲み屋街でもなく、ツルンとしていつでも明るい照明と、安心できるメニューを提供する近郊のファミリーレストランなのである。平凡ではあってもちゃんと横浜の郊外に一軒家を購入し、息子を独立させ結婚にこぎつけさせた、そういうカップル像を語るにあたり、このファミレスなる舞台空間こそが望ましいと……。

 しかし、この保守性、この「だってそうだろ」と言わんばかりの諦念、先験的な大肯定に、まったくリアリティを感じなくなってくるのも否定できない。この夫婦の絵に描いたような仲直りを見ていると、こんなにうまい具合に行くものかね?という疑問が頭をもたげる。夫婦の問題、家族の問題はもっと複雑で、もっと鬱屈し、もっと時間の堆積によって払いがたいものとなっており、かんたんに解消されうるものではない。努力が逆転ホームランのごとく功を奏すなどという事態は、むしろ稀だと言っていいのではないか。

 では、これはメルヘンなのです、と言わねばならないのだろうか。ひとつのタウン、ひとつの国家そのもののように振る舞ってやまぬファミレスという没個性空間で大団円となり、夫たち、専業主婦たち、その子どもたちが、まるで「ウィ・アー・ザ・ワールド」のように唱和する。この総括方法は示唆的で興味深い。この映画はリアルな生活を語り、でも問題に対する対処はメルヘンであり、最後には唱和によってかなりの力業で普遍化する。阿部寛のいつもながらの快演と、それを的確に受け止める天海祐希ら演者陣に大きな拍手を送りつつも、私がおもに演出と脚本に疑念を呈したのは、砂糖菓子の埋めこまれたメルヘンがリアルの顔をして闊歩していたからである。ここから先は各々方、実際に劇場に駆けつけ、読者の皆様がそれぞれに感じた「甘い、にがい、酸っぱい」をワンシーンごとに判じていただければと思う。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『恋妻家宮本』
全国東宝系にて公開中
出演:阿部寛 天海祐希 菅野美穂 相武紗季 工藤阿須加 早見あかり ほか
監督・脚本:遊川和彦
(C)2017『恋妻家宮本』製作委員会
公式サイト:www.koisaika.jp

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