行定勲ら5人の監督は“ロマンポルノ”をどう蘇らせたか? 松江哲明×モルモット吉田が語り合う

 初公開から45周年の今年、「日活ロマンポルノ」がリブートプロジェクトとして蘇った。総尺80分前後、10分に1回の濡れ場、撮影期間は1週間……行定勲、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫、5人の監督たちが、同じ製作条件の元で表現を競い合うのが本プロジェクトだ。リアルサウンド映画部では、熱狂が過ぎ去った後、追いかけるように「ロマンポルノ」を体験した世代の映画監督・松江哲明氏と映画評論家・モルモット吉田氏による対談を企画。現在公開中の『ジムノペディに乱れる』、明日から公開される『風に濡れる女』を対象に、それぞれのロマンポルノ体験、2作品の考察から、日本映画に求められる“エロ”の表現まで話は及んだ。(編集部/メイン写真は『風に濡れた女』)
 

「ロマンポルノ」に追いつけなかった悔しさ

モルモット吉田(以下、吉田):松江監督が初めて観た「ロマンポルノ」はなんでしたか。

松江哲明(以下、松江):高校生の頃、石井隆監督の作品が大好きだったんですが、監督のデビュー作を調べたらロマンポルノの『天使のはらわた 赤い眩暈』(88)でした。どうしても観たい! となったのですが、レンタル屋には置いていなかったし、18歳になるまではそもそも借りることもできない。18歳になってすぐだったと思うんですが、書店で販売していたビデオ版を友達が買って、それを借りて観たのが最初の体験ですね。相米慎二や根岸吉太郎など、ロマンポルノを撮っていた監督たちの一般映画の新作は観ていたので、彼等のロマンポルノも、ものすごく観たかったんです。観たいのに観られない、ロマンポルノに追いつくことができない悔しさが当時はすごくありました。

吉田:僕が最初に興味を持ったロマンポルノは田中登監督の『実録・阿部定』(75)でした。高校生の頃、ビデオで大島渚監督の映画を順に見ていたら、やはり『愛のコリーダ』(76)が見たくなる。でも、ビデオは成人指定だから高校生が借りることはできない。そんな時に、同時期に阿部定を題材とした作品がもう1本あると知って、そっちも名作らしいと。もう我慢できずに父親のカードで(笑)、『実録・阿部定』と『愛のコリーダ』をレンタルして観たのがロマンポルノ初体験ですね。劇場体験で言うと、僕らの世代では90年代後半に行われた「神代辰巳レトロスペクティブ」がロマンポルノの入口だという人が多かったと思います。だから、どうしても神代辰巳や田中登といった監督の名前で作品を選んだり、批評家から評価されていた“名作”の縛りで「ロマンポルノ」を観てしまう傾向にある。3本立て興行のリアルタイムで観ている人からすれば、ロマンポルノは名作ばかりではなくて、女優を目当てに見るプログラムピクチャーなので、映画としてはハズレも多かったと言います。そういう見方は後追いの僕たちにはできていないですね。

松江:それはありますよね。今回のリブート企画も、いわゆる“名作ロマンポルノ”に触れてきた方が立てたものなんだろうなというのを感じます。

吉田:だから、現役で名の知られた行定勲、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫という監督たちを中心にした企画になっているわけですね。

松江:ただ、今回のような企画がベテラン監督だけで、若手監督を起用しなかった点に不満が少しあります。

吉田:若手監督や女性監督を起用してほしかったという思いもありますが、完成した作品を観れば、リブート企画の第1弾としてはこれでよかったという気が僕はします。やはり若い頃に低予算で質の高い映画を撮っていた実績のある監督ばかりなので、どの作品も完成度が高いですよね。これはベテラン監督ならではの安定感だと思います。題材的に似通ったものばかりになるかもと思っていたら、各監督の個性がにじみ出ています。

『ジムノペディに乱れる』(監督:行定勲 出演:板尾創路、芦那すみれ、岡村いずみほか)

 

吉田:板尾さん扮する映画監督・古谷が行く先々で出会う女たちと絡みながら彷徨う1週間を描いた映画です。この劇中の映画監督は年齢的にも行定監督の自己投影を思わせる存在ですね。『世界の中心で愛を叫ぶ』(04)をはじめとして成功した行定監督が、落ち目の不遇な監督の話を撮ったら嫌味ったらしいものになるかと思っていたんです。でも、映画は行定監督のコンプレックスが強烈に反映されていますね。自分はいつダメになるかもしれないとか、自分より才能があったはずなのに芽が出なかった人への劣等感が素直に反映されている。

松江:この作品を観ると、映画監督ってモテるんだろうなと思ってしまいますね(笑)。

吉田:古谷のモデルは相米慎二監督らしいですよ。1週間自宅には帰らず、女性の家を渡り歩いていく感じとか。

松江:なぜ、同じ映画監督でもこうも違うんだと羨ましくなりました。僕はこんな経験したことないですよ(笑)。古谷を板尾さんが演じたのが良かったですね。俳優・板尾創路はもっと評価されていいと思うんです。壇蜜さん主演の『私の奴隷になりなさい』(12)では、『エンゼルハート』(87)のロバート・デニーロに匹敵する“悪魔”ぶりを見事に演じていました。言葉巧みに人を操っているのに、まったく威圧感はない。そこが板尾さんの役者としての不思議さで。本作でも、奥さんが事故にあって、仕事もダメで、行く先々で酷い目に遭うんだけど、まったく可哀想な感じはないんですよね。

吉田:格好つけているのに、格好悪い、そこが上手く出ていますよね。

−−相米監督がモデルとのことですが、こういった雰囲気の映画人は実際に多くいますよね。

松江:いるんですよねえ。僕が通っていた日本映画学校(現・日本映画大学)にもいましたよ。僕は講師の経験があるんですが、とても信じられない!

吉田:古谷みたいな中年の売れない映画監督の先生にハマる生徒は現実にもいますよね。それはともかく映画の中で映画監督を描くことは難しいんですよ。『カミュなんて知らない』(06)で描かれていた監督も類型的な描写だったじゃないですか。映画監督を映画内で描くと、この映画を撮っている監督自身との距離感が問われますね。

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