『この世界の片隅に』が観客の心を揺さぶる理由 「感動」の先にあるテーマとは
「思い出す」ことでいきいきと甦る歴史
江戸時代の学者、本居宣長は、日本の神話的歴史書「古事記」の膨大な全注釈書を完成させたときにこんな歌を詠んだという。
「古事(ふること)の 記(ふみ)をら読めば 古(いにし)への 手振り言問(ことと)ひ 聞き見るごとし」
「古事記を読むと、昔の人の手振りや口振りを、目の前で聞いたり見たりしているような気がしてくる」という意味である。本居宣長を研究した評論家、小林秀雄は、「歴史を知るということは、"思い出す"ということだ。そこで自分が生きているように考えなければ本当の歴史を知ることにはならない」ということを繰り返し述べている。
本作の片渕須直監督による過去の劇場用アニメーション『マイマイ新子と千年の魔法』は、まさにそれを描いた作品だった。主人公の少女、新子は、祖父から「この麦畑の下には千年前の街がある」と聞かされる。新子は、自分の五感と想像力を最大限に働かせ、千年前の風景、千年前の生活を「思い出す」ように精神的に辿っていく。この映画の面白いところは、原作小説に書かれた昭和30年の山口県を、その時代に遅れて生まれた年代の監督が映画化しているというところだ。つまり、劇中で新子が千年前に思いを馳せていたように、片渕監督もまた自分の知らない世界を想像し再現しているのである。
『マイマイ新子と千年の魔法』では、それがある種の不思議な力として描かれてもいたが、そのような歴史感覚を実際に得るためには、歴史を様々な分野の観点から調べ上げる膨大な努力が必要になるだろう。『この世界の片隅に』原作の巻末には、たくさんの資料や取材の一部が紹介されているが、映画化の際に片渕監督も、文献などのほか、当時そこに生きていた人から直接話を聞き、資料にない街や建物の様子、当時の生活など、映像化に必要となるディティールをさらに調べ上げている。本作の人間が現代の人間を見るように、いきいきとみずみずしく感じるというのは、このような表に見えづらい努力が実を結んでいるはずである。
「普通の人間」たちによる戦争批判
自分の頭のなかでいつまでも楽しく空想ばかりしているすずは、実務的なところでは、ぼ〜っとした受け身型の人間として表現される。ちゃきちゃきと対照的に描かれる、嫁ぎ先の実家で暮らす義姉は、自分の人生を強い意志で突き進んでいく女で、すずの生き方を、主体性のない自由意志を奪われたつまらない人生だととらえている。だが、すずはすずで、周囲に流されながらもひとつひとつのことをゆっくりと理解して、実感を得ながらマイペースで生きていくことに喜びを感じている。それは戦時中の極限状態においても変わらない。
そんな彼女が激しい怒りを面に出すのが、天皇が日本の降伏を国民に伝える「玉音放送」を聴いた直後だった。敗戦するまでに、自分の身体を傷つけられ、家族の命を奪われ、多大な犠牲を払わせられた挙げ句、日本が降伏をする。なぜこれまで命を落とした人たち同様に、最後のひとりまで戦おうとしないのか。そして、逆になぜこのような状況になるまで降伏しなかったのか。日本は正義のために戦っていると教えられてきた彼女は、実際は日本が国民を、正義に見せかけた「暴力」によって従えてきただけなのだという結論に行き着く。
当時学生だった人は、この敗戦を境に、学校の教師の言うことが突然変わったことにショックを受けたという。正しいとされてきたことが、一瞬によって変えられてしまう。すずが怒りを覚えるのは、この無責任さであり、一般市民を死に至らしめたアメリカであり日本であり、戦争という暴力そのものである。この場面で、民家から大韓帝国の国旗が揚がるというのも、日本がそれまでに振るってきた暴力を告発する意図があるのは明白である。
軍艦の乗員となって決死の戦いにおもむく、すずの幼馴染の男は「普通の人間」として、死んでも英霊として拝まないでほしいとすずに語る。ここでは、『永遠の0』のように戦死者を英雄として理想化するのでなく、死地に向かう人間を、あくまで普通の人間として扱おうとする。かつておしゃれで進歩的なモダンガールだった義姉もまた、戦争によって人生を大きく狂わされ、「普通」を奪われた人間のひとりだ。
あの日、生き残った市民の多くが、家族や大事な人たちのことを想って、そして自由に生きる夢を断たれた自分の人生を想って、片隅に隠れひとりで泣いたのだろう。本作が描くのは、普通の人間が普通に生きる権利を奪われるという、日本で無数に存在したはずの個人的な悲劇である。