松田龍平演じる“ダメ人間”が面白い! 現代社会で輝く『ぼくのおじさん』の魅力

 ナイスな新キャラクターが日本映画に現れた。つい近頃、浅野忠信が演じる『淵に立つ』の何を考えているのか分からない謎めいた男・八坂(やさか)のインパクトに圧倒されたばかりだが、松田龍平が演じる『ぼくのおじさん』の“おじさん”もすごい。こちらは、屈折はしているものの何を考えているのかハッキリと分かる、愛すべきダメ人間である。

 

 原作は、「どくとるマンボウ航海記」などで知られる北杜夫の小説だ。この小学生の目を通した、シュールとすらいえるダメな叔父さんのダメな日常を描いた物語を読むと、これはもう本作の監督、山下敦弘にかなりうまくマッチングするんだろうということはすぐに分かる。もともと山下監督は、初期から「ダメ男三部作」と呼ばれる作品を手がけ、『苦役列車』や『もらとりあむタマ子』などでダメな人間を描き続けてきた、ある意味ダメ人間映画のエキスパートである。本作はプロデューサーが監督と主演を指名したということだが、この両者がそれぞれ手腕を十二分に発揮できているところを見ると、思惑通りというところだろう。本作は山下監督の作品としては大衆娯楽寄りで、最も劇場で笑いが起きているのではないだろうか。

 とにかく本作は、松田龍平が演じる「おじさん」が激烈に面白い。まず年不相応のじじくさいファッションと、自信なさげな立ち姿が作り出す佇まいが異様である。経験が豊富な役者は、カメラの前でどういう身のこなしをすればどのように映るかということを意識できるという。対して素人は、カメラの前で緊張し、ぎこちなく不自然な動きをしてしまう。ここでは、あらゆる所作を不格好に見えるよう崩していくことで、意識的に素人っぽい演技を作り出し、おじさんの世慣れていない社会不適合的さ、もっというと、現実世界に対して不適合な感じを出すことに成功している。小学生のサッカーの試合にゴールキーパーとして参加し、小さく構える姿だけでも笑いがこみ上げてくる。

 

 おじさんは基本的に陰鬱として無表情であり、うまくいかないときや意外なことが起きると、「WAO!」と小声で叫ぶくらいで、リアクションは薄い。劇中で珍しく声を荒げて狼狽したのは、カレー店で会計の際に、コロッケのトッピングの無料券が期限切れだったことに気づいたときである。そのような表情の分かりづらいピエロ風の基本姿勢は、例えばチャップリンや 、『ぼくの伯父さん』のジャック・タチ、もしくはMr.ビーンなど、周囲の状況を活かすタイプの洒脱な海外コメディアンを想起させ、原作小説のイメージよりもさらにおじさんのキャラクターが愛らしく見える。

 設定からは「男はつらいよ」シリーズも想起させるが、本作のおじさんがより現代的なのは、ダメ人間的な「卑怯さ」や「器量の小ささ」がより際だっており、もはや「良いおじさん」であろうとすることに何の興味もなく、道徳心に縛られていないという点だろう。大学の非常勤講師として一週間で90分しか労働をしないというおじさんは、高等遊民を気取っているが、日々の食費にも困り、兄夫婦から金を無心しながら居候しているダメ人間である。家の猫がくわえているイワシを奪って朝食のおかずにしたり、小学生の甥を遊びに連れて行くと言って、義姉から自分の昼食代までせしめるという徹底ぶりである。おじさんが情けない行動をとり続けると、小学生の甥である聡明な雪男(ゆきお)くんは、「大人なんだからしっかりしなさいよ」「少しは反省しなさいよ」と説教する。雪男くんの目を通し語られることで、おじさんの情けなさは強調されていく。

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