医療SFスリラー『セルフレス』で本領発揮! インド出身の俊英、ターセム・シン監督インタビュー
「今作で一番興味を持ったのは、技術的な面よりも、モラルの問題」
——プロデューサーのラム・バーグマンとは、今回どのような経緯で一緒に仕事をするようになったのか教えてください。バーグマンは今、『スター・ウォーズ』の新作でもプロデューサーとして仕事をしていますよね。
ターセム:今回の作品は、プロデューサーから自分に声を掛けてくれた企画という意味で、自分にはとても珍しいケースだった。いつもは、自分がやりたいものを見つけて、そこから企画を立ち上げてきたから。でも、実際にそういうやり方で仕事をしてみたら、それがすごくやりやすかったんだ(笑)。ラムは本当に自分のエゴがまったくない、常に企画を形にすることを一番に考えていくプロデューサーで、最初にこの作品で自分がやりたいと思っていることを話した時、しっかりと耳を傾けてくれて、一旦彼からゴーサインが出たら、そこからは完全に好きにやらせてくれた。新しい『スター・ウォーズ』での仕事も、彼が『LOOPER/ルーパー』を製作する時に抜擢したライアン・ジョンソン監督との信頼関係から自然に生まれたものだろうから、いつも通りに優秀な仕事ぶりを発揮しているんじゃないかな。
——あなたも、もしチャンスがあったら『スター・ウォーズ』のような伝説的なシリーズ、あるいは、例えばマーベルのスーパーヒーローもののような作品を撮ってみたいという気持ちはありますか?
ターセム:えっと(苦笑)、そういうのは僕向きではないと思うんだ。『スター・ウォーズ』だとか、マーベルやDCの作品というのは、心底そのジャンルやその物語を愛していないと作っちゃいけないものだと思う。実際、そこでうまくやっている監督は、それだけの愛情を持ってやっている人ばかりだしね。僕は、彼らと同じ場所で競おうとは思わない。インド生まれの僕は子供の頃から『スター・ウォーズ』を観てきたわけではないし、その作品世界の“言語”を友だちと共有してきたこともないし、自分に向いていると一度も思ったことがないからね。やっぱり、そういう人間が嘘の熱意みたいなもので作っても、上手くいかないんじゃないかな。スーパーヒーローものも、はっきり言って僕にはどうしたらいいかさっぱりわからない(笑)。ああいう作品は、いろんなファンが期待しているものに、どう応えていくかっていうことが重要だと思うから。ただ、『スター・ウォーズ』やマーベルやDCではない、もっと一般的なシリーズものを監督することについては、常にオープンな気持ちでいるよ。
——あなたは、今作『セルフレス』の「頭脳の転送」というテーマを、SFとしてではなく、あくまでも現実世界の延長として描きたかったそうですね。その試みは見事に成功していると思うのですが、実際にこの「頭脳の転送」というテーマのどこに現実的な可能性を感じ、どこに現実世界では乗り越えられない不可能性を感じましたか?
ターセム:自分なりにいろいろリサーチをして、医学関連の資料を読み込んだりもしたんだけど、結論としては、そういったものが実現するとしても、あと100年くらいはかかるんじゃないかな。医学の進歩というものはいきなり起こるものではないからね。臓器を買うことで少し延命が出来るとか、そういうことはモラルの問題を別にして、今の世界でも起きていることだけど。なんらかの方法でコンピューターに自分の意識をダウンロードできたり、死後にそれを再び立ち上がらせたり、そういうことが少しずつ起きてきて、その延長上にこの作品で描いた世界はあるんだと思う。僕が今作『セルフレス』のテーマで一番興味を持ったのは、そういった技術的な面よりも、モラルの問題の方なんだ。時間が経てば、ほとんどのことは技術的には可能になると思うけど、そこに至るまできっといろんなモラルの問題と向き合わなければいけなくて、むしろその過渡期の部分に興味がある。だからこそ、今回登場しているマシンというのも、具体的にMRIみたいな実際にある機械に手を加えた程度のものにしていて、映画のスペクタクル的にどういうふうにのそ技術を見せるのかということについて、僕はあまり執着しなかったんだ。それよりもストーリーの方が大切だったし、きっといつかそういう技術ができたとしても、それはまったく我々が想像しているものとは違う方法になるんじゃないかと思ったからね。
——あなた自身、もし余命を告げられて、頭脳が転送できるとしたら、作中で描かれていたような膨大な費用の問題は別として、実際にやってみたいと思いますか?
ターセム:自分の今の身体は非常によく機能しているから、その必要性をまったく感じないけれど、もし30年後の自分が病室でカテーテルのようなものにつながれてなんとか生命を維持しているだけだとしたら、そこでどんな判断をするかはわからないよね。もちろん、そこにはモラルの問題が大きく横たわっているわけだけど、人は追い詰められると、あえて『答えを知りたくない』という気持ちになることだってあり得る。本作の主人公も、なんとなくそこにネガティブな真実があるんじゃないかってことは最初から気づいていたけど、意識下でその答えに向き合わないようにしていたんじゃないかな。