昭和を代表する大女優・原節子を訪ねてーー川喜多映画記念館が伝える、誇り高き女優像

 昨年9月5日、95歳でその生涯を閉じた女優の原節子。戦前・戦後に大活躍した大女優として語られる彼女を偲ぶ特別展『映画女優 原節子~美しき微笑みと佇まい、スクリーンに輝いた大スターを偲んで~』が現在、鎌倉市川喜多映画記念館で開催されている。

 “昭和を代表する大女優”と言われても、今の若い世代にはピンとこないのではなかろうか。それはある意味、仕方がない。原節子の最後の出演作品である『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が公開となったのは1962年。その翌年、亡くなった小津安二郎監督の通夜に姿を見せたのを最後に公の場に現れたことはほぼ皆無。本人から明確な宣言は出ていないもの、その年に事実上、女優業から引退したとされている。もはやそれから半世紀以上が経過しているのだから、今回の訃報にニュースなどで触れて初めて知った人がいても不思議ではない。私自身も、彼女を知ったのは、たまたま小津監督の名作にして、世界の名作ランキングにもほぼランクインする『東京物語』を見た30年数年前のこと。その時点でも、原節子の女優としての活動はとっくに終わっており、メディアで現況が伝えられるようなこともなく、映画でしか出会えない存在になっていた。

 そのブランクは原節子という女優を伝説化、神格化していく一方で少しづつ忘却もさせたような気がする。そのせいか、今回の訃報に際し、ある一時代を築いた女優としては予想よりも扱いが少なかった気がしてならない。そもそも、映画以外の映像素材もおそらくほとんどないことから、ニュースや特集を組むにも難しいことが予想され、致し方ないことなのかもしれないが……。

 ただ、やはり日本を代表する大女優と言われた存在の彼女の名前がこの訃報をもって最後に聞いたとなってしまうのはしのびない。日本映画の黄金期とされる時期に最も輝いた女優の存在はもっと今の若い世代に知られていいし、その作品に触れないで終わるのはもったいない。そんな折に届いた今回の特別展。訪れてみると映画女優・原節子を、見る・知る・感じる十分で、原節子入門編としてもぴったりといっていい内容だ。

 まず、なにより川喜多映画記念館は、彼女を偲ぶのに相応しい場所といっていいだろう。同館は、国際的な映画人として活躍した川喜多長政とその妻で“日本映画の母”とも称されるかしこの邸宅を改修して設立されたもの。その川喜多夫妻とともに原は海外を旅した縁がある(※そのときの欧米旅行アルバムが今回の特別展では展示されている)。また、原が名コンビとされた小津安二郎と初めて顔を合わせた『晩春』、それに続いての出演となり高い評価を得ている『麦秋』はいずれも鎌倉が舞台だ。さらに鎌倉は原節子が終生を過ごした地。そのことは鎌倉で暮らす人々も鎌倉ゆかりの映画人として心にしっかりととどめている。このことを合わせると、地元の人にしてみれば待ちに待った今回の特別展といっていいだろう。

 その地元の人々の想いは、すでに川喜多映画記念館に向かう道すがらから少しだけ感じられた。鎌倉の駅から川喜多映画記念館までは徒歩で6分ほど。鶴岡八幡宮の方面へ、小町通りを進み、通りを抜ける少し手前を左へ少し入ったところにある。その間、通りの店を何気なく見ていくと、数多くの店先に原節子の肖像がプリントされた今回の特別展のポスターが目立つように貼られている。ここからして、原節子という人が、鎌倉の人々にとって身近で特別な存在だったことが伺えるではないか。実際、原の訃報が届けられたときから、同館には“追悼上映会はないのか?”といった問い合わせが多く寄せられたという。さらに言うと、生前から“原さんはお元気でいらっしゃるでしょうか?”といった彼女の近況についての問い合わせも同館にはたびいたび寄せられていたそうだ。そのことを踏まえるとまさに今回の同館でこのような特別展が開かれるのは必然だったのかもしれない。

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