佐々木俊尚の映画『スティーブ・ジョブズ』評:“天才的なデザイナー”の片鱗が描かれている

「偉人が人生の局面を迎える瞬間を切り取った映画」

(c)Universal Pictures (c)Francois Duhamel

ーー本作に対し、アップルの現CEOであるティム・クック氏など、実際にジョブズと関係があった人々からは批判もあるようです。

佐々木:実在した人物を映画化する際には、どうしても恣意的な解釈が入ってしまうものです。近しかった人物からすると違和感を感じる部分があるのは仕方ないでしょう。スカリーやウォズニアックが不利な描かれ方をしていて、本作によって二人のイメージが悪くなってしまう可能性も否めませんし、当時のことを後からこうして評価するのは残酷に過ぎる気もします。ティム・クックはCEOとして、映画がアップルのブランドに与える影響を懸念した面もあるのでは。

 作劇的な部分でいうと、記者会見の寸前にあれだけのドラマがあったというのは、ほとんどフィクションだと思います。実際にリサが会いに行ったことくらいは本当かもしれないけれど、あそこまでドラマチックなやり取りではなかったはず。ただ、原作の伝記小説にあったエピソードはうまく散りばめられていて、そのジョブズ像はしっかりと再現していた印象です。あの上下巻に渡る長くて複雑な物語を、こういう形で切り取って映画化したのは、上手いやり方ですね。

ーーあえてスピーチのシーンは描かずに、ジョブズ像をあぶり出していく手法は斬新だと感じました。

佐々木:ダニー・ボイル監督の力量を感じますよね。ほとんどストーリーはなくて、ジョブズと周囲の関係性だけを描き、あそこまで魅せるというのは。会話劇に重きをおいたその作風は、アメリカ映画というよりフランス映画のような魅力を感じさせます。エスプリが効いているというか。

 一方で、ジョブズのストーリーを共有していないと、面白さがわかりにくい映画でもあります。たとえば、ジョブズがペプシコーラ社長だったスカリーに「いつまでも砂糖水の経営者をやっていて楽しいのか」と口説いたシーンなど、ファンにとってはお馴染みのトリビアが再現されているのですが、もとのストーリーを知らないとピンとこないでしょう。創業時のガレージもかなり丁寧に再現しているので、好きな人にはたまらないはずです。原作を読んでから観るのをお勧めしたいですね。

ーー細部でいうと、冒頭では『2001年宇宙の旅』を執筆したSF作家のアーサー・C・クラークが、巨大コンピューターの前に立ち「これからは個人がコンピューターを使う時代になる」と予言した、70年代半ばのインタビュー映像が挿入されています。この映画を、より意味深いものにしていました。

佐々木:ジョブズがコンピューター史に残した功績を示すうえで、とても象徴的な引用です。コンピューター自体は70年代にも使われていたけれど、当時のものはメインフレームと呼ばれる大型のもので、大企業だけが利用できる特別なものでした。60年代に西海岸から巻き起こったヒッピームーブメントでは、LSDなどの幻覚剤を使用して個人の精神を解放しようという思想があり、その考えは後に、コンピューターを大企業の手から解き放って個人のものとすることこそが、真の意味で精神の解放につながる、という風にシフトしていきます。

 そうした流れから考えると、ジョブズはコンピューターのパーソナライズドを成し遂げた人間の一人であり、60年代から始まった長い革命を、iMacやiPhoneといった製品によって成就したといえます。デジタルの空間を経由して人と人が繋がっている今の状況は、当時のヒッピーたちが夢見た新しい世界そのものです。

 その革命前夜に、なにが起こっていたのか。一人の偉人が人生の局面を迎える瞬間を切り取った映画であり、そのバックボーンに思いを巡らせると、さらに奥深く楽しめるでしょう。

(取材・構成=松田広宣)

佐々木俊尚

■佐々木俊尚
作家・ジャーナリスト。 1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。毎日新聞社、月刊アスキー編集部を経て2003年に独立し、IT・メディア分野を中心に取材・執筆している。「21世紀の自由論〜『優しいリアリズム』の時代へ」「レイヤー化する世界」(いずれもNHK出版新書)「家めしこそ、最高のごちそうである。」(マガジンハウス))「キュレーションの時代」(ちくま新書)など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。

■公開情報
『スティーブ・ジョブズ』
2016年2月公開
監督:ダニー・ボイル
脚本:アーロン・ソーキン
出演:マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズ 他
2015年/アメリカ
配給:東宝東和
(c)Universal Pictures (c)Francois Duhamel
公式サイト:stevejobsmovie.jp

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