森田芳光監督への愛に溢れた『の・ようなもの のようなもの』 落語の世界の描き方から考察

 ふと入った居酒屋で「何かすぐにできるものはありますか?」と客が尋ねたところ、「そうですね、サラダやフライドポテトみたいなものであれば、すぐにお出しできますよ」と店員が答える。すると客は「じゃあ、“みたいなもの”を一人前」とオーダーする…。そんなアホな! と思うかもしれないが、3代目三遊亭金馬の十八番として今なおCDなどで聴き継がれている落語「居酒屋」を、今風にすると、こんな感じになるのではないだろうか。

 酔っぱらいが店の小僧をからかいながら酒を飲み続けるやりとりを演じる「居酒屋」では、小僧が「へえーい、できますものは、汁、はしら、鱈昆布、鮟鱇のようなもの、鰤にお芋に酢蛸でございます、へえーい」と奇妙な早口で答えたため、酔っぱらった客が「いま言ったものは何でもできるのか?」と問いただし「じゃあ、すまねえけど“ようなもの”ってやつを一人前もってこい」と揚げ足を取るのである。

『の・ようなもの のようなもの』(c)2016「の・ようなもの のようなもの」製作委員会

 この「居酒屋」は、森田芳光監督の商業映画デビュー作となった『の・ようなもの』(81)のタイトルの由来となったお噺。つまり、『の・ようなもの』の35年後を描いた映画『の・ようなもの のようなもの』(16)は、“『の・ようなもの』みたいな映画”なのだということをタイトルが示している。しかし同時に、「居酒屋」の解釈と照らし合わせると、“『の・ようなもの』の物語はもう作ることができない”ということも示しているように見える。その理由のひとつは、森田芳光自身「他の続編は撮れても『の・ようなもの』の続編は撮れない。プロの映画作りに無知だったから撮れた」と述懐し、2011年に急逝してしまったからである。

 それでも『の・ようなもの のようなもの』は、続編として揺るぎない骨格を持っている。オリジナルから35年後という年月は、観客にとっても、出演者・スタッフにとってもリアルな時の流れ。続編では松山ケンイチ演じる志ん田が新たな主人公として登場するのだが、『の・ようなもの』の主人公だった志ん魚の行方を探すという物語が展開することで、過去と現在の物語が交錯してゆくのである。志ん魚を演じた伊藤克信をはじめ、尾藤イサオやでんでん等の役者が『の・ようなもの』と同じ役で出演。舞台となった街並には、変わらないものと変わってしまったものとの両方があり、その対比によって35年の月日の流れが何であるかを物語らせている。

『の・ようなもの のようなもの』(c)2016「の・ようなもの のようなもの」製作委員会

 監督の杉山泰一は、『の・ようなもの』以来16本の森田作品に助監督として参加した人物。森田作品をよく知る杉山監督にとっても、(ドラマ演出経験を除けば)これが商業映画初監督という共通点がある。さらに『の・ようなもの』の製作当時に株式会社ニューズ・コーポレイションを森田芳光と共に設立したプロデューサーの三沢和子をはじめ、森田組での助監督経験者である堀口正樹が脚本を手掛け、撮影・照明・編集・録音・美術・音楽など、主要スタッフは全員森田組経験者で構成されている。

 またキャストにおいても、これまで『椿三十郎』(07)、『サウスバウンド』(07)、『僕達急行 A列車で行こう』(12)という3本の森田作品に出演した松山ケンイチや、同じく『間宮兄弟』(06)、『サウスバウンド』、『わたし出すわ』(09)の3本に出演した北川景子だけでなく、仲村トオルや三田佳子などが演じる脇役に至るまで、歴代の森田作品出演者が顔を揃えているという徹底ぶり。

『の・ようなもの のようなもの』(c)2016「の・ようなもの のようなもの」製作委員会

 森田芳光はもうこの世にいないけれど、森田芳光に関わりのある人たちによって作られた『の・ようなもの のようなもの』には、「森田芳光ならこうしたであろう」という人間讃歌が慎ましくも描かれ、森田作品への愛に溢れている。それがタイトルに少し自重的な「のようなもの」という言葉を加えた所以であるように思えるのだ。

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