田中宗一郎が語る、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』とアメコミ映画の現在

「アイアンマンが表象しているのはウォルト・ディズニー」

――いや、思っていた以上に『アベンジャーズ』シリーズに対して好意的なんですね。元アメコミ・マニアとしての批判的な意見もあるんじゃないかと想像していたんですけど。

田中:映画としては観てないってところもあるんだけど(笑)。ただ勿論、批判的な視点もはなくはない。アンダーグラウンドのカウンターカルチャーだったものが、今はディズニーという大資本に回収されて、巨大なエンターテイメントになっているわけだから。「それ自体どうなんだ?」っていう視点もあるにはある。でも同時に、ポップアート/ポップカルチャーには常に体制の内側でその裏をかいてきた文化だという歴史もあって。時には国家や大資本を利用しながら、見えないところでベロを出してきた。勿論、大資本に一切タッチしない、アンダーグラウンドであり続けるってことの美徳も有効性もある。でも、体制の内側にいながらも、そこでやるべきことをやって、言うべきことを言うというのは、決してポップカルチャーの間違った道ではない。それこそアメリカ文化の伝統だよね。それこそが唯一のレジスタンスの方法だという視点もあるかもしれない。ピンチョンの小説じゃないけど、もはや一体誰が本当の黒幕なのかって、もう誰にもはっきりと指摘することの出来ない時代なわけだから。民主制度にしろ、グローバルな金融問題にしろ、全世界的なシステムそのものが問題を孕んでいるわけで。しかも、政治を動かしているのは経済で、経済を動かしているのは企業で、でも、企業を突き動かしてるのは大衆の気分や欲望なわけでしょ? そう思うと、内側で戦うしかないっていう考え方もそれなりに信憑性を持たざるをえない。

――ハリウッドに限定しても、昔は明確にその中に敵がいて、それこそルーカスはそれと闘いながら、事実上インディペンデントな体制で『帝国の逆襲』以降の『スター・ウォーズ』を作ってきたわけですもんね。もしルーカスが今30代や40代だったら、それこそマーベル作品のようにディズニーの中で作品を作り続けていたかもしれない。

田中:それって、映画作家としては誰よりもロバート・アルトマンが好きな身としてはとても複雑な話なんだけど(笑)。実際、ジョス・ウィードンにしても、次作は自分から降りちゃった。きっと大変は大変でしょ。楽じゃない。ただディズニー/マーベル映画の存在自体が、今の企業社会、市場原理主義社会を考える上では、すごく示唆的だと思う。だって、マーベル映画の中で、アイアンマンが表象してるのはディズニーという巨大企業なわけだしさ。

――え? アイアンマン=ディズニー? それはどういうことですか?

田中:『アイアンマン2』冒頭に出てくる、スタークの父、ハワード・スタークが自らオーガナイズしたスターク・エクスポに関するフィルムは、完全にウォルト・ディズニーがEPCOTをプレゼンテーションするフィルムが元ネタなんだよね。

――そうでした。EPCOTといえば、ディズニーの今年の作品『トゥモローランド』でも、そのまんまモチーフになってましたね。

田中:EPCOTというのは、テクノロジーの進化によってもたらされるであろう素晴らしき未来世界についての博覧施設で、テクノロジーの進化こそがより良い未来社会をもたらすというウォルト・ディズニーの思想を象徴する存在。だから、ディズニー作品は手を替え品を替えてそれを描き続ける宿命にある。と同時に、ウォルトといえば、世界平和を望むあまり、明らかな間違いを犯した過去のある人物としても知られている。代表的なのは、第二次世界大戦期に枢軸国の一つであった日本を倒すために、前線ではなく、非戦闘員が暮らす市街地への絨毯爆撃こそが最重要という戦争プロパガンダ映画『Victory Through Air Power』(1942年)。これは直接的に広島と長崎での悲劇に連なっている。

――そもそも『アイアンマン』は、世界最大の軍需企業のトップであるトニー・スタークが、自社の兵器がテロリストに横流しされているのを知って、その贖罪のために今度は世界を救う立場になろうとする話ですもんね。

田中:そう考えると、過去の贖罪を背負いつつ、いまだ間違いを冒す可能性を孕みながらも、当初からの理想主義的な理念に従って、常に正義を再定義しようとしているという意味において、ディズニーという夢のエンターテイメント企業を作った天才ウォルト・ディズニーと、天才的な技術者であり、企業家でもあるトニー・スタークは相似形なんだよね。で、一番のポイントは、どちらも個人というよりは、企業という存在を表象してるってこと。

――ディズニーがマーベルの権利を手に入れて映画化するようになり、今回の『エイジ・オブ・ウルトロン』のように、なんだかんだ言ってもやっぱりそこでアイアンマンが物語の中心となっていくのは、いわば歴史の必然なのかもしれませんね。

田中:これからマーベル作品は自らが「フェイズ3」と呼ぶ、第3段階に入っていくじゃない? そこでは、第2作『ウィンター・ソルジャー』によって、マーベル作品の中でも最も直接的に政治的/社会的イシューにフォーカスした『キャプテン・アメリカ』シリーズに、いよいよアイアンマンがさらなる諸悪の根源として登場することになる。おそらくは、現状、国際政治の行く末のすべての鍵を握っているとも言える、グローバル企業と国家との関係がモチーフになるんじゃないかな。そこにキャプテン・アメリカという、もはや失われつつある大文字のアメリカという理念と精神が対峙するっていう。実際にそうなったとしたら、ホントもう溜飲を下げるしかないんだけど。