「期待」はなぜ時に人を苦しめるのか 一穂ミチが『希望の子』で示した”善意の呪縛”とそこから抜け出す道

小説『希望の子』に込められた光と葛藤

 本屋大賞にノミネートされた『光のとこにいてね』や、直木賞受賞作『ツミデミック』など作品ごとに読者の心を深く揺さぶり続ける小説家・一穂ミチが、最新作『希望の子』(文藝春秋)を刊行した。

 東日本大震災の当日である2011年3月11日に生まれ、失声症により言葉を発することができない少女・雪花(せっか)。彼女と、彼女を取り巻く「生まれた日によって希望を背負わされた人々」の軌跡を描く6篇を収めた連作集だ。

 命の誕生という無条件の「祝福」と、そこに不可避的に生じる「エゴ」や「期待」という名の重み。そして、大規模な災害や事件の「当事者性」やディスコミュニケーションをめぐる葛藤――。重厚なテーマに正面から挑んだ本作の背景と、そこに込められた想いを聞いた。

担当編集者の子どもの誕生という、暗闇に灯った一筋のニュース

一穂ミチ氏

――『希望の子』、拝読いたしました。読んだ後、胸の奥深くまで沈み込むように深く潜り込んでいって、その一番底で反転するように一筋の光が見えてきました。本作はどのようなきっかけで生まれたのでしょうか。

一穂ミチ(以下、一穂):きっかけは、担当編集者にお子さんが生まれたことだったんです。それが2021年のことで、ちょうどコロナ禍の真っ只中でした。

 初めてその編集者と打ち合わせをしたのは2020年の2月頃で、私が住んでいる大阪まで来てくださって。当時は、まだ世の中的にもコロナに対して「漠然とした不安や危機感」があるくらいの空気だったんです。でも、そこから状況がどんどん深刻になっていき、世界中が先の見えない不安に覆われてた2021年の初夏に東京でお会いした際に「実は子供が生まれまして」と聞いたんです。

 コロナ禍になって以降、初めて幸せなニュースが聞けたなと思って、パーッとすごく嬉しくなってしまったんですよね。それで何かお祝いを差し上げたいなと思ったんですけれど、出産の祝いってなかなか難しい。色々考えて、友人に相談したんです。「担当編集さんにお子さんが生まれたんだけど、何をあげたら喜んでいただけるかな?」って。そうしたら即答で「編集者が欲しいものって、小説じゃないの?」と言われて。

――それはうれしい。

一穂:「重くない?」と思ったんですけど(笑)。その時期に短編の締め切りが近づいていたのもあって、あの時に勝手に感じた「希望」のようなものについて考えて書いたのが、最初の短編「希望の子」になります。

――その「希望」を描くにあたって、ただまっすぐキラキラとしたものとして描くのではなく、命が持つ重さにスポットを当てられたのがとても印象的でした。

一穂:「新しい命って素晴らしい!」という小説を書くのには、どこかためらいがあったんです。その時コロナ禍だったというのもありますが、こんなご時世に子供を生み育てることをためらうカップルやご夫婦っていらっしゃいますよね。その気持ちもすごく分かるので。

 でも、生まれてくることを否定してしまうと、自分が今まで生きてきた道筋を否定することにもならないか……とか、色んなことを考えて。結局、私の根暗なところが出ちゃってるんですかね(笑)。勝手に想いを託してしまうことへの後ろめたさだったり、私自身も誰かから一方的に何かを託されたら嫌だな、とか、そういった感情が意図せずに、こういう物語になっていったのかなと思います。

3.11と1.17、当事者性のグラデーション

一穂ミチ『希望の子』(文藝春秋)

――本作の主人公である雪花(せっか)は、2011年3月11日に大阪で生まれ、失声症を抱える少女として描かれます。震災の日に生まれた子供、という属性を持たせた背景には、どのような思いがあったのでしょうか。

一穂:短編の「希望の子」が載る雑誌が発売されるのが、1月頃だったんです。関西に住んでいるので、冬になってくると「1.17(阪神・淡路大震災)」のことを思わずにはいられないんですね。私自身、被災というレベルではないですけれど、大阪にいて震災を体験しました。

 当時も「当日に生まれた命」みたいな話があって、ニュースを見るたびに、「この子は将来大丈夫かな」と思っていて。何かあるたびに「大変な中、いろんな人が頑張って取り上げてくれたのに」みたいなことを言われかねないんじゃないかな、とか。

――つい、勝手に背負わせてしまいますよね。

一穂:本人からしたら何の関係もない話じゃないですか。そういう時に、「希望」という言葉の眩しさみたいなものが、逆に私には直視できないようにも思えて。

 お子さんが生まれた編集者へのお祝いという自分の中での思いもあり、「子供の眼差し」を題材に書きたくて、2011年3月11日に福島で生まれた女の子が、もし大阪にいるとしたら、どういう経緯を辿って、今どんな子になっているのかなという想像から1話目の「希望の子」を書きました。

――雪花の学校に来ているスクールカウンセラーの梢(こずえ)が立ち上げた「反希望クラブ」という言葉もすごく魅力的でした。この段階では、物語の着地点をどこまで想定されていたのですか?

一穂:第1話の時点では、続きのことまで考えていなかったので、考えていたのは雪花、梢、朝海(あさみ)の3人のバックグラウンドだけですね。物語として考えていたのも、最初は雪花のストーリーだけだったんです。

――2026年は東日本大震災から15年になります。この15年という歳月は「希望の子」執筆に際してどれほどの距離感でしたか。

一穂:小説における「当事者性」というのはすごくデリケートな問題です。東北を舞台に、東北で生まれた女の子の話だったら、私には難しかったと思います。遠く離れた大阪で、震災の渦中を何も知らないという設定だからこそ書けました。

 大きな災害の被災には色んなグラデーションがありますし、東北以外の人に3.11を語ってほしくないという方々の気持ちは、あって当然だと思うんです。私は阪神・淡路大震災を経験しているので、関西が舞台で、あの震災の話を書くのは許してもらえるだろう、という思いもありました。30年が経った今でも「やっと人に話せるようになった」とおっしゃる方がいて、ニュースになるようなエピソードの陰で、黙って抱え続けている人たちがいる。そういったものに対して、自分なりの距離感で書きました、としかお答えのしようがないかもしれないです。

恋愛アンソロジーから生まれた、もうひとつの「命の値段」

――第2話の「カーマンライン」では、2001年9月11日にニューヨークで生まれた男女の双子(朝海とケント)と、アメリカ同時多発テロの現場で命を失った消防士の父親、その後の補償問題に翻弄された母親の現実が交錯しますね。

一穂:「希望の子」を書いた後に、文芸誌の『オール讀物』さんから恋愛特集のお話をいただき、「今度は朝海について書いてみようかな」と書いたのが「カーマンライン」でした。

――恋愛アンソロジーの一作として出された短編が、この連作の中に収まることで、また違う深い印象がありますね。『希望の子』を読んでいて、第2話からグッと引き込まれたのですが、9.11の当時、あの場所にいた日本人の息苦しさみたいなものをいつか書きたい、という思いがもともとあったのでしょうか。

一穂:9.11については事態が大きすぎて、WTC(ワールドトレードセンター)のビルが崩れる映像の「その後」って、なかなか日本に届いてこない部分がありますよね。たくさんの命を救いながらも、大量の化学物質を浴びて病気になったりお亡くなりになった消防士の方たちのことは、何年か経ってから色々発表されるようになって、わたしもニュースを見て知ったんです。しばらく経って亡くなった犠牲者も多かったんですよね。私自身、2018年にニューヨークへ旅行に行った際、ちょうど9.11の時期で、メモリアル博物館に行った時の想いもありました。

――補償の不平等など、センセーショナルな事件の裏側で起きていた現実の描写も、胸に迫りました。

一穂:実際、補償にあたった弁護士の映画『ワース 命の値段』(2020年)も観たのですが、パートナー同士だった同性カップルの片方が亡くなった時に「夫婦じゃないから補償の対象外です」と言われたりする。事故の時の「逸失利益」という言葉も、私はすごく残酷だなと思いました。生きていたら稼いでいたであろうお金で格付けされるような、命の値段みたいなものについては常に考えていたので、そういうことも書きました。

家族という名の「密室」と、分かりあえなさの先にある努力

――第3話の「ウィンドミルでキドニーパイを」では摂食障害を抱える梢と、家族の期待や病ゆえに自分の体を差し出さざるを得ない葛藤を抱えた篠原有佳(ありか)が登場します。「生まれた日」の記号性だけでなく、家族という閉ざされた空間の中で「生むこと・生まれること」の身勝手さや、きょうだい児の問題といったテーマがより深く掘り下げられていて胸を突かれました。

一穂:1話目が父と娘、2話目が男女の双子のお話で、3話目は女の子同士の、友情とも恋ともつかない密接なものを書きたいなと思っていました。有佳は、家庭の中で閉ざされた希望を背負っている子。梢が摂食障害を抱えていて、それに気づけるのは、身内に病気を抱えた人がいて、その病気のために自分自身を差し出さなければいけないという未来が定められた子、という風に登場人物が決まっていきました。

 私が小学生くらいの時に見たドキュメンタリーがずっと心に残っているんです。難病の腎移植のドキュメンタリーで、小学生くらいの女の子がお母さんから腎臓をもらうことになっていたんです。その子が駄々をこねたら、お母さんが「そんなこと言うと腎臓あげないよ」と言って、ナレーションで「〇〇ちゃんは黙ります」と流れて。子供心に「そんなことを言うの?」とすごくショックだったんです。昭和の時代の話ですが、この子はすごくつらいだろうな、と思って。その記憶もきっかけだったと思います。

――自分の意志とは関係なく、意味や役割を付加されてしまう残酷さですね。第4話の「羊の帰る家」では、子供時代に共同体生活を送っていた新興宗教の教祖と同じ誕生日だった男性が視点主で、「他人の傷にどこまで触れていいのか」という現代的な配慮の息苦しさに切り込んでおられます。

一穂:実はほとんど書いたことがなかった男性の一人称視点に挑戦しました。「メモリアルな誕生日」で誰もが思い浮かべるのって、クリスマスか元日で、クリスマスは大昔の宗教家の男の人の誕生日ですよね。

――たしかに。

一穂:「誰かの傷に触れる」といったことについては、ここ5年くらい特に考えるようになりました。近頃、いろんな配慮が浸透するにつれて、「そこは触らない方がいい」「聞いてはいけない」と、腫れ物に触るような対応が無難であるような空気も感じ、それも大事だとは思うんですけど、会社で世間話すらためらわれる息苦しさもあるじゃないですか。配慮や遠慮が、必ずしも思いやりや優しさとイコールではないという難しさがありますよね。

 人と人が完全に分かり合うなんて不可能な話なんですけど、だからといってボールを投げ、受け止める努力を捨てていいわけではない。登れないと分かっている山でも、頑張ってしがみつくことは、決して無駄ではないということを、いつも証明し続けたいような気持ちがあるんです。

期待という名の「エゴ」から離れ、自ら掴み取る希望へ

――第5話の「歌うように生きて」では、天安門事件の日に生まれた中国人の男性が出てきて、まさに「反希望クラブ」の原点回帰のような展開に驚きました。天安門事件を題材に取り入れられたのはなぜだったのでしょうか。

一穂:この話の中で引いている中国の詩人・余秀華(ユーシウホア)さんの詩『穿过大半个中国去睡你』(「中国の大半を通り抜けてあなたを寝に行く」)が話題になったというのを、何年か前の新聞記事で目にして、私自身ずっとその詩に惹かれていたんです。実はこの5話目は、書店アンソロジー『本屋さんのある街で』(文春文庫)の一篇として依頼されたものだったのですが、「書店」と聞いた時にパッとその詩のことが浮かんだんです。

中国で忘れられないメモリアルな日を考えた時、私が中国のことを詳しく知らないからこそ、真っ先に浮かんだのが天安門事件でした。作中の時系列や年代から逆算して、登場人物の人物像を固めていったり、実際に報道されていた「留学生がスパイ活動に巻き込まれる」というニュースの事例などについても調べて形にしていきました。

――中国のことにはあまり詳しくなかったとおっしゃいましたが、執筆にあたってかなり調べられたのですか?

一穂:スパイに関するニュースなどを調べた程度で、天安門事件についても一通りの知識しかありません。ただ、事件が起きた当時、私は中学生で、当時は「何か大変なことが起きているらしい」ということしか分かっていなかったんです。大人になってからその意味を知るにつれ、「あの時とんでもないことが起きていたんだ」と改めて実感して。天安門事件をほぼ何も知らなかった5話の主人公(鈴森潤)の視点には、当時の私の感覚も重ね合わされているのかもしれません。

――「今一番読まれてほしい」と強く感じたのは、この「歌うように生きて」でした。第2話のケントもそうですが、日本以外にルーツを持つ人たちがごく当たり前に暮らし、馴染んでいる姿が描かれている。自分の中にある境界線意識や壁をスッと溶かしてくれるような感覚がありました。

一穂:究極的なことを言えば、“国境線”があるから戦争が無くならないんじゃないかと思う時も。考え方としては極端かもしれないですが、「もうみんな混ざり合っちゃえばいいのに」という気持ちはどこかにありますね。不可能だからこそ。

最終話で示される、自ら掴む「希望」の真理

ーーそして最終話「汽水域」で、再び主人公の雪花へと物語が還っていきますね。中学生になった雪花と同年代の男の子(志村音)のやり取りを通じて描かれるラストは、重厚なテーマを経てきたからこそ、驚くほど軽やかで強い救いに満ちていました。

一穂:「希望の子」の短編を読んだ雑誌の編集者から「あの後、喋れるようになった雪花ちゃんも見てみたいです」と言われたのがきっかけでした。私はあの後電話で喋れたんじゃないかって思っているところもありましたが、喋れないままだったらどうなるだろう、と考えて書いたんです。

 中学生男子のボキャブラリーを考えるのはすごく難しかったですね。「こんな難しい言葉遣いはしないだろう」「こんな単語は知らないよな」と思って、同じ言葉を何度も使わざるを得なかったり。そういう意味では『羊の帰る家』よりずっと難しかったです。

――その不器用でまっすぐな中学生の目線があったからこそ、最後の「希望なんか自分で探して自分で持っとけ」という言葉が、押しつけがましくなく胸に刺さりました。誰かから勝手に背負わされた「祝福」や「期待」を一度パンとひっくり返して、自分自身の足で歩み出す。まさにこの作品全体が提示してきた「希望」の真理だと感じます。

一穂:韓国の作家ハン・ガンさんが「希望とは真っ暗な中に射す、か細い光のことである」といった意味のことをおっしゃっていましたが、本当にそうだなと思うんです。希望って、パッと華やかに全体を照らすようなものじゃない。

 私、お笑い芸人の和牛さんがすごく好きだったんですけど、彼らがM-1の予選に出ている時期のラジオで、「劇場のお客さんが緊張しすぎていて。お祈りみたいな空気にしないで」というようなことを言っていたことがあったんです。ファンとしては「てっぺんの景色を見てほしい!」という一心なんですけど、それって演者からしたらすごく重いですよね。「推し活」なんかもそうですけど、誰かに勝手に希望を託して、思い通りにならないと「裏切られた」「お金を使ったのに無下にされた」と感じてしまう。希望というのは、すごく身勝手で、裏返りやすい危険なものでもあるんですよね。どこからが「希望」で、どこまでが「エゴ」なのかは、なかなか線を引くことができないと思います。

 だからこそ、希望というのはあまり近くに抱え込まず、少し遠くに置いておくくらいがちょうどいいのかなと。「こうだったらいいな」と遠くから温めているような、儚い光。それが、今の私にとっての「希望」の感覚です。

――命を生むこと、育てること、そして人と関わっていくことの中には、どうしても身勝手な「エゴ」が混ざってしまう。けれど、その身勝手さに救われる瞬間も確実にある。答えのない問いを抱えながら生きていく私たちに、そっと寄り添ってくれる一冊ですね。

一穂:家族というものは、まさにすべての祝福と呪いの根源だと思います。この本を書き終えた今でも、私自身明確な答えは出せていません。お読みくださった方も、どうか答えを求めずに「そういうこともあるか」くらいで、手探りのまま受け止めていただけたらいいなと思っています。

■書誌情報
『希望の子』
著者:一穂ミチ
価格:1,980円
発売日:2026年10月7日
出版社:文藝春秋

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