東出昌大の初エッセイはなぜ現代人に刺さるのか? “白黒つけない生き方”のメッセージ

俳優の東出昌大が初の著書『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記~』を9月25日に上梓した。自身の不祥事をきっかけに厳しい世論の批判を受け、逃げるようにたどり着いた山梨県の山中で、自ら猟銃を握り、鹿や猪を解体し、薪を割って暖を取る半自給自足の生活を始めてから数年。世間の声から離れ、厳しい自然の営みと向き合う中で彼が書き留めた24篇のエッセイと日々の記録は、発売直後から大きな反響を呼んでいる。
本書において際立っているのは、SNSなどで即座に「白か黒か」「善か悪か」の結論が求められる今の時代に対し、あえて明確な答えを出さず、“グレーゾーン”にとどまり続けるスタンスだ。
冒頭のエッセイ「ものさし」は、ホーム上の安全確認で停まっていた電車が動き出す日常の一コマから始まる。線路に落ちそうな急病人がいたのか、片方落としたイヤホンを探していたのかと思いを巡らせつつ、彼は一つの問いを投げかける。そして、自ら動物を撃ち、解体してその肉を食らうことと、狩猟を残酷だと断じながら食べ物を残すことや爪切りが見当たらなくて119番通報をすること。果たして、どちらが「ヤバい」のか。人によって異なる基準の存在を示しながら、善悪二元論では答えが出ない問題が多いのではないかと提示する。答えを急がず、考えを深めていく。このアプローチは、厳しい世論の洗礼を直接受けてきた彼だからこそ行き着いた境地とも言えそうだ。
こうした思索は、山での生き物との関わりや狩猟の実像を描く場面で、より具体的に表れている。農作物を荒らす害獣としてハクビシンを駆除する一方で、同じ害獣でありながら皮膚病に苦しむ野良タヌキを救おうと、獣医のもとへ赴くエピソードがそれだ。駆除と救済の境界線を「食べられるかどうか」という自身の尺度に置きつつも、法律や道理に従う部分と、「法がどうあれ救いたい」と願う我が身のエゴとの間で彼は苦悩する。そうした葛藤をそのままさらけ出すことで、読者にも「正解のない問い」を投げかけている。
さらに、文章に強い説得力を与えているのが、山で鹿を仕留める際の克明な記録だ。銃弾によって息絶えた鹿の頭部から湯気が立ち上る光景や、命が消えゆく直前の瞳の輝きを、彼は見つめる。命を奪った直後、手に残る肉のぬくもりを感じながら、自問自答を繰り返す。生きるために命を奪うことに対し、自分を正当化する言い訳や理屈を探そうとはしない。自らの胸に残る罪悪感や後ろめたさを消そうとせず、白黒をつけないまま抱え続ける。その佇まいこそが、本書の綴るフレーズに迫真性をもたらしている。
また、地方移住や田舎暮らしに向けられがちな甘い理想論に、冷や水を浴びせるような冷静な眼差しも目を引く。山で採れる野菜や肉に関しても「すべてタダではない」と言い切り、苗代や燃料代、猟具を買い揃えるためのコストを淡々と明かしていく。都市に住む人々が抱きがちな勝手な妄想を振り払い、その土地で長年生きてきた人々の知恵や関係性に敬意を向ける。こうした地に足のついた感覚があるからこそ、彼の語りは単なる独りよがりにならず、読む者の胸に届くものになっている。
うわべのきれいごとや欲望に「もういい加減、足るを知ろうぜ」と投げかける本書。周囲の評価やネットの喧噪に揺さぶられがちな人にこそ、読んでほしい一冊だ。
■書誌情報
『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記~』
著者:東出昌大
価格:1,650円(税込)
出版社:扶桑社























