『HUNTER×HUNTER』キメラ=アント編はなぜ最高傑作なのか? 未曽有のスケールで描かれる“善悪を超えた愛”
冨樫義博の手掛けるマンガ『HUNTER×HUNTER』のシリーズ累計発行部数が、1億部を突破。これを記念して「少年ジャンプ+」と「ゼブラック」では7月19日までの期間、340話分の無料公開キャンペーンが実施された。
多くの人が本作を読み直したようで、SNS上には熱のこもった感想が溢れかえっていたが、そのなかでも大きな盛り上がりを見せたのが「キメラ=アント編」だ。なぜ同エピソードはこれほどまでに読む人の心を揺さぶるのか、その理由をあらためて考えてみたい。
集大成にして最高傑作!「キメラ=アント編」とはどのような物語か
「キメラ=アント編」は単行本18巻から30巻にかけて収録されている長編エピソード。『HUNTER×HUNTER』における集大成にして最高傑作とも言われており、壮大なスケールの戦いが描かれている。
物語は、危険な生態で知られるキメラ=アントという蟻の女王が海岸に打ち上げられるところから始まる。通常この蟻は10cm程度の大きさだが、なぜか人間を凌駕するほどの巨体を手に入れていた。そして蟻たちは栄養豊富な人間をエサと見なすようになり、未曾有の生物災害(バイオハザード)が幕を開ける。
女王を頂点として組織された蟻の兵隊たちは、人類の敵として認定され、ハンター協会の面々が事態の収拾に動き始める。しかし規格外の力を持った“王”の誕生によって、女王は死亡。王は一握りの精鋭たちと共に動き出し、東ゴルトー共和国という独裁国家を乗っ取ると、人類を蹂躙する足掛かりにしようとするのだった……。
「キメラ=アント編」の魅力としては、まず「戦闘力が限界までインフレした戦いを見られる」という点が挙げられるだろう。
蟻たちは元々驚異的な身体能力を持っているが、念能力を習得することでさらなる脅威へと進化していく。たとえば王直属護衛軍の1人・ネフェルピトーは、プロハンターの中でも上澄みと思われるカイトを一蹴するほどの実力者だ。
それに対抗するのは、念能力を極めた熟練のプロハンターたち。なかでもハンター協会の頂点に立つネテロ会長が蟻の王・メルエムと繰り広げた一騎打ちは、名勝負として語り継がれている。
ネテロはすでに全盛期を過ぎているものの、かつては「念使いで最強」と自負するほどの使い手だった。その真骨頂は、無数の腕を持った観音像によって相手を追い詰める念能力「百式観音」にある。
洗練された動作から繰り出される攻撃は、ネフェルピトーすら反応できないほどの“不可避の速攻”であり、攻め手のパターンも無限に等しい。その完成度の高さは、人類を侮っていたメルエムの心中に「惜しみ無き賞讃」を呼び起こさせるほどだった。
しかしそんなネテロの攻撃ですら、メルエムの肉体にはほとんどダメージが通らない。それに対してメルエムは徐々にネテロの呼吸の流れを掴み、攻撃パターンの穴を突いていく。やがて2人の攻防は、美しさすら感じさせる領域へと到達するのだった。
ここで描かれているのは、いわば武を究めた人間が武に特化した生命体に挑むという究極のシチュエーションだ。言い換えると、“個の強さ”の頂点同士のぶつかり合いとも表現できるだろう。
少年マンガの価値観を裏切る必然の展開
だが「キメラ=アント編」が凄まじいのは、この戦いが“前振り”に過ぎないことにある。結局のところ戦いの勝敗は何ら意味をなさず、物語を動かすのは人間の悪意が生んだ爆弾「貧者の薔薇」(ミニチュアローズ)だ。ここでは「個の強さを追求することは美しく、正しい」という少年マンガの根幹をなす価値観が、これ以上ない形で裏切られている。
とはいえ、それは作者の気まぐれや作劇上の失敗ではない。一連の流れは「戦いはむなしいものであり、エゴのぶつかり合いでしかない」というメッセージを含んだ、必然的な展開として描かれているからだ。あるいは「貧者の薔薇」が明らかに核兵器を連想させる設定となっていることを踏まえるなら、これを反戦テーマとして解釈してもいいかもしれない。
他方でゴンとネフェルピトーの戦闘にも、同様のメッセージ性を見出せる。「キメラ=アント編」においてゴンは念能力者として成長を遂げていくが、カイトの死を知った瞬間、“覚醒”して驚異的な強さを手に入れる。修行や努力の過程抜きで、もっとも強い力に到達するという型破りな展開だ。
さらにゴンとネフェルピトーの攻防は、決して美しいものとして描かれていない。仇を討ったところでカイトが帰ってくるわけではなく、むしろ自分が傷つくことで、キルアを悲しませる結果になってしまう。言ってしまえばこの戦いは、むなしさに満ちた暴力の発露でしかないのだ。
こうして“力による解決”が最悪の形で空回りしていく構造にこそ、「キメラ=アント編」のテーマ性が鮮烈に示されているのではないだろうか。
善悪を超越した“愛”にたどり着くまで
また型破りな展開といえば、ネテロvsメルエムの顛末が正義と悪、敵と味方の対立という構図を裏切るものになっていることにも注目したい。
メルエムは誕生した当初、人類を下等生物と見なして虐殺することに何のためらいも覚えていなかった。すなわち人類側からすれば、意思疎通すらできない“純粋な悪”だったと言えるだろう。しかしネテロと戦う段階では、多様な命の価値を認めるようになっており、どこか人間味すら感じる人格に変わっていた。
それに対して人類の側が最終手段に選んだ「貧者の薔薇」には毒があり、被毒者を介して連鎖的に死をばら撒くという非人道的な兵器だった。ここで人類は自己防衛のためという言い訳をもとに、“悪意”の側へと踏み切っている。ネテロが最期に自らの地獄行きを確信していたこと、爆発と重ねて「人と蟻でどこが違うのか」という問いが記されていたことが何より印象的だ。
思えば「キメラ=アント編」は、最初から最後まで正義=人類、悪=蟻という構図を攪乱する物語だった。たとえばキルアは自分を襲ってきたキメラ=アントのイカルゴと拳を交えるが、その仲間想いな性格に心を動かされて友情を築いていく。またゴンはメレオロンと出会った際、彼のことをキメラ=アントのなかの誰よりも「人間臭い」と評するが、メレオロンからは逆に「人間離れした怪物性」を指摘されてしまう。
おそらく善悪の境界線を疑うことは、冨樫という作家にとって根本的なテーマだと言える。もう1つの代表作『幽☆遊☆白書』において、仙水忍というキャラクターを通して、人間という生き物の醜さを描き出していたことは忘れがたい。
とはいえ「キメラ=アント編」は、そうした主題をあらためて描き出しただけの物語ではない。人類への絶望というニヒリズムを超えて、“愛”の可能性を示していることにこそ、その独創的な価値がある。
世界でもっとも無力な少女がもたらした、善悪を超越した救済
もちろんここで言及したいのは、メルエムとコムギの関係性だ。メルエムは当初、暇つぶしの一環として軍儀というボードゲームを始める。そこで人類最強のプレイヤーとして呼び出されたのが、コムギという少女だった。
将棋や囲碁では一瞬にして人類を上回ったメルエムだが、コムギとの軍儀には敗北し続ける。生まれて初めて自分を凌駕する者に出会ったことで、メルエムの心中には変化が生じ、「強さにも色々ある」ことを学ぶ。
ただし種の本能として、「暴力こそこの世で最も強い能力」という確信はある時点まで残されていた。そのため暴力を一切持たないコムギのことも、無にも等しい存在だと見なし、自らの手で始末しようとする。しかしそこでメルエムが目撃するのは、カラスに襲われて傷だらけになっているコムギの姿だった。そしてメルエムの身体は勝手に動き出し、殺そうとしていたはずのコムギを助けてしまう。
不意に芽生えた感情によって、メルエムの価値観は大きく揺さぶられ、「余は一体」「何の為に生まれて来た…?」と自分の存在意義を問うまでに至る。
この問いに答えを与えたのは、皮肉なことに「貧者の薔薇」だった。自分の身体が致死性の毒におかされていることを知ったメルエムは、王としての役割を放棄してコムギのもとに向かう。その胸中にあったのは、「残された時間をコムギと一緒に過ごしたい」という願いだけだ。そして死を目前にして、コムギこそが人生に意味を与えてくれる存在だと気づく。
これが一方的な救いではないことも重要だろう。壮絶な境遇で生きていたコムギにとって、メルエムは自分を1人の人間として扱ってくれるかけがえのない存在だった。また人生をかけて打ち込んだ軍儀においても、お互いに高め合える唯一のライバルだった。絶命の間際、2人の胸中で「この人のために生まれてきた」という確信が交差する瞬間は悲劇的だが、あまりにも美しい。
こうして「キメラ=アント編」の結末では、暴力とは無縁の場所で、“命の価値”というテーマに1つの答えが与えられるのだった。
作中最強のボスがどこの誰が作ったのかも分からない軍事兵器で倒される一方、主人公は暴力のむなしさを体現し、物語からフェイドアウトしていく。そして最後には世界でもっとも無力な少女によって、善悪を超越した救済がもたらされる……。少年マンガの枠組みを逸脱した先で示されるのは、読者の一人ひとりに、生きる意味を問いかけるような愛の物語だ。
さらに蛇足かもしれないが、コムギの造形は世界各地の物語に見られる“聖なる愚者”を思わせるところがある。「社会のなかで愚か者とされている存在が、もっとも純粋な形で愛や真実を映し出す」という逆説が、彼女を通して描かれているからだ。その意味で、冨樫の筆致はある種の普遍的な真理に触れているようにも思われる。
マンガ史に残るような達成を成し遂げた「キメラ=アント編」。とはいえ同作の物語はここで完結せず、今でも続いている。この先、冨樫は一体どこに向かうのだろうか。それを知るためには、現在連載中の「王位継承編」を追うしかないだろう。